クロスオウヴア 14
■■■ DNA 1 ■■■
「そうか、分かったぞ。」
佑右は、どうしてプライ人同士が一切コミュニケーションを取らないのかやっと理解できた。彼らは同じDNAデータを持った全く「同じ」プライ人で、記憶の場であるメモリまでPHCのSCMMの一部分に共有しているから、人間に例えれば、脳は1つで体だけいくつもあるようなものだからなのだ。
「そりゃ、会話をする必要もないな。独り言を言うのと同じだからなあ。」
プライヴィットで多様な変化を見るためには、プライ人それぞれのメモリを切り離すことと、プライ人のDNAデータを各人違うものにして、違うプライ人を作る必要があった。メモリを切り離すのは技術的には簡単なことである。ただ、その分メモリをたくさん食うことになるので、それをどう調達するかが問題だった。
「デスクトップならメモリを増設すれば問題ないが、持ち運びを考えるとPHCではそうはいかないからな。」
佑右のPHCには常温超伝導を利用した磁気メモリSCMM(Super Conduction Magnetic Memory)を最大限増設して二十八エクサのメモリが有ったが、OSに三エクサ、「プライヴィット」の基本作動に五エクサ使うと残りは二十エクサしかない。その二十エクサすべてをプライ人の記憶に当てたとしても、五千人のプライ人1人当り四ペタにしかならない。
「共有圧縮をかけてメモリへの負担を減らすとしても、十分の1。それでも最低1人あたり七ペタは消費するな。」
1人七ペタとするとSCMMで足らない分は1人三ペタ。それが五千人だから、あと十五エクサのメモリをなんとかしなければならない。また、記憶以外に「プライヴィット」を円滑に作動させるにも、プライ人1人に付き数エクサは必要だから、PHCで動作させるには全くメモリが足りなかった。
「あっ、おれってばかだなあ。」
佑右は突然声に出して言った。大事なことに気付いたのだった。今いる五千人のプライ人は、最初のプライ人をコピーしただけだから、いくらでも簡単に増やすことができたけれども、プライ人ひとり1人にすべて違うDNAデータを与えるとすると、その作業はとてつもない膨大な作業になる。
「仮に1人のデータを打ち込むのに、1時間として、五千人なら五千時間。というと、二十四時間ずっと入力し続けても、えーと、二百八日! とても作れるわけないじゃないか。おれって、ときどきばかだね。」
一人で苦笑すると、現実的な対応を考えはじめた。
「1日三時間入力すると、十日で三十人、百日で三百人か。メモリより、こっちの方が問題だぜ。」
佑右はため息をついた。
「まあ、とりあえず五人位から始めっかな。」
とにかく、今すぐにはどうにもならないことに気付いた佑右は、PHCの電源を落として窓の外へ目をやった。
丘の斜面に作られた、まだ二十年に満たない新興住宅街は空間が広くとってあり、機能性や利便性、そして業者の利益を追及したかつての住宅地とは大きく様変りしていた。どの家からも、丘から山へつながる緑の木々が見え、鳥はさえずり、街全体が季節によって違う表情を見せる。主要交通機関はすべて地下に埋められ、地上には山と川と野原。鎮守の杜。そして数々の生き物と子どもたちの声。日本人が最も日本人らしかった頃の風景が、この街には再現されていた。このように一方では人間らしさの回復が叫ばれ、自然との共存を目指す中、まるで天の理までをも支配しようとでもしているように、科学はより一層の進歩を遂げていた。
佑右は、飲み物でも探そうと台所のある一階に降りていった。ある時期流行した西洋風のダイニングキッチンは、今ではほとんど見ることができない。佑右が壁に埋め込みの冷蔵庫を開けた時、電話が鳴った。
「はい野添でございます。ああ、沙紀ちゃん。ちょっとまってね。」
佑右の母佳子は受話器を佑右に渡した。電話をかけてきたのは沙紀だった。
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