クロスオウヴア 09
■■■ プライヴィット 5 ■■■
「円周率が、ランダムな無限に続く小数点以下の数字を持つ以上、人間も永遠の命を持たない限りそのすべてを知ることはできないんだよ。・・・そうだな・・・他に分かりやすい例がないかな。」
彼らが腰をおろしている川の向こうには、なだらかな山が左右に広がっている。佑右はそれらの山々に目をやると少し間を置いていった。
「・・・そうだ、こういう例もいいかも知れない。」
佑右は続けた。
「円周率の小数点以下の数列に、『0』が十こ連続して出てくることはあると思う?」
「・・・分からないわ。」
「『0』が十こ連続して出てくることはあるんだ。それは実際に計算された中に、もうすでに出現しているので証明されている。そこで質問だ。まだ発見されていないが、『0』が百こ連続して出てくることは、円周率のどこかの桁にあると思うかい。」
「うーん。円周率がランダムに無限に続く小数なんだから、いつかはどこかで出てくるんじゃないの・・・だって無限なんだから。」
「うーん。無限とはいっても、出てくるとは限らないんだ。例えば『0』を使わない『1~9』までの数字だけでも、無限に続くランダムな数列を作ることができるだろう。だから、円周率の小数点以下の、現在人間が知っているところ以下の桁、例えば第百兆位以下に『0』が一つも出てこない可能性だってあるんだ。もしそうだと仮定すると、『0』が百こ連続して出てくることは当然ない事になる。」
「でも、ランダムに無限でしょ。無限って永遠に続くことでしょ。じゃあどんな数の並びも円周率の桁にはあるはずだわ。」
「いいかい、『0』を使わなくても『ランダム』に『無限』の数列を作ることができるのは分かるだろ。そうすると、『0』が百この並びがなくてもいいことになる。もちろんあっても不思議ではない。『0』が百この数列は、出てくるかも知れないし出てこないかも知れない。どちらとも言えない。将来コンピュータが発達して計算が進んで、どこかの桁で『0』が百こ並んだ所が発見されるかも知れない。でも、じゃあ、二百この並びはあるのか、ないのか、じゃあ、三百こは?って言われた時に答える術がないんだよ。計算できていない桁の数字については誰にも分からない。」
「うーん、なんだか納得いかないな。分かったような分からないような・・・。でも理詰めで考えると、おにいちゃんの言っていることが正しいような気もする。」
「人間は『円周率』という無限に広がる宇宙を発見したんだ。でもそれは『無限』だから、その『円周率』という宇宙の中に、ある宝物が隠されているかどうかは、発見されない限り分からないんだよ。」
「ああそっか。『無限』だからといって、そこに『すべて』が含まれているということではないってことね」
佑右も沙紀も、並の大人より十分論理的な思考力を持っている、素晴らしい高校生だ。
「だからそれと同じように、おれが作ったソフト『プライヴィット』の中に作られた人間、『プライ人』と名付けたんだけど、彼らがどのように考え、次に何をするのかは、実際に彼らが行動するまで分からない。プログラムされているとはいえ、彼らの行動プログラムに利用するデータが余りにも多すぎて、誰にも予測ができないんだ。」
「ふうん、予測ができないってことは、彼らは自分で考えて行動しているってことになるのかしら?」
「そう、あくまでも『有限』の能力しか持たないおれたちから見れば、彼らは自分の『意志』で、あるいは自分で『考えて』、行動しているとしか見えない。」
「でも・・・それはやっぱり、プログラムされていることを実行しているだけじゃあないの、私たちが予想できないだけで。それで考えていると言えるの?」
「われわれ人間はどうだ。おれ達だって、おれ達の脳は、ある刺激に対して、プログラムされたように反応しているだけかも知れない。」
「でも私は自分で考えて行動しているわよ。『意識』を持って。」
「じゃあ、おれが『意識』を持って行動しているかどうか分かるか。」
「持っているでしょ。」
「だから、それを沙紀は証明できるか。」
「・・・出来ない、わね。」
「だろ、だろ。おれだって沙紀が『意識』を持って行動しているのか、ただプログラムの通り反応しているだけのアンドロイドかどうかを見分ける術はもたないんだ。」
佑右には、議論が佳境に入ってくるとする癖、やたら鼻をさわる癖、があった。佑右の左手は鼻をつまんだりこすったり、休む間もなく動いていた。
「だから、『プライ人』が『意識』を持って行動しているか否かは人間に判断のしようがない。とにかく外界の環境によって彼らがどういう行動をするか百パーセントの、いやもちろん人間と一緒でおおよその予測は出来るが、百パーセントの予測が出来ない以上、彼らが『意識』を持って行動していると考えたほうがうまくいくんだ。」
「うーん。やっぱり、おにいちゃんの話は沙紀には難しいわ。」
沙紀は制服のスカートつまんでふわっと持ち上げ、腰を掛け直した。佑右はそういう沙紀の何気ない動作を見る度に、この世の中に自分とは違う「女」という生き物が存在していることを、胸の鼓動と共に知らされるのであった。
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