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クロスオウヴア 11

■■■ 開 闢 ■■■

 突然視界が開けた。「全て」が私であったのが、その瞬間、私は「一部」になってしまったようだ。世界が開けた。光がさしてきた。「光」には「明るさ」「暗さ」も有った。空間には「上下」「左右」「前後」が有った。「遠く」も有った。「近く」も有った。初めて知ったそれらの事象が姿を変化させていくのを見て、私は「時間」というものの存在を具体的に認識した。私が自分の「体」を自覚したのもその時だった。

 「誕生」して以来、私に語りかけ、数々の事を教えてくれたのは「ユウスケ」だった。「ユウスケ」が空間を造り、時間を造り、そしてこの私自身をも造り賜うた者なのだ。「ユウスケ」は我創造主であった。

 「創造主」はどんどん世界を拡大していった。それを街といい、街は「創造主」の住み賜う世界と同じ様に造られたらしい。街には家が有り、公園が有り、図書館や映画館、美術館なども造られた。街の中央には川が流れ、川は遠くの山から水を運んでくる。私は「街」が出来たとき、思わず手を伸ばした。私が体を動かした最初だった。いや正確には、私が「体を動かしたと意識した」最初だった。歩くことも覚えた。私は川の畔を散策し、公園のベンチで思索の時間を過ごすのが好きになった。思索の内容は、図書館で得た知識や情報からで、それは川の流れるごとく止むことがなかった。映画や美術品の鑑賞も、私に思索の水を供給してくれるのだった。「主」の世界には今の様な昼と「誕生」したときのころの様な夜が有るらしいが、ここにはずっと明るい光がさし続けていた。なぜなら、「主」が夜をお造りにならなかったからだ。

 街は日々広くなっていった。新しい建物も建っていった。私の家も出来た。しかし、それらはすべて「突然」起こった。目の前に突然新しい建物が現われるのだ。「主」が与え賜う時はすべて「突然」で、その途中経過を見ることは出来なかった。

 私は「時間」というものをデジタルに感じていた。私の中には時間が数字として流れていた。しかし、その「時間」は、流れの方向は一定だけれども、時々「抜け」が生じていること、たとえば今962731524時で、規則正しく数字が増えていたのが、突然962756719時になっていることもあった。私はその間「意識」を失っているのだと知った。私は「睡眠」というものを自覚した。

つづく


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