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Twitter振り返り祭り↑↑

こんにちは。かっぱです。センター入試前日の東大生痴漢(3回目)とか、聖マリ入試180点中80点引きとかでぶちぎれですね。特段フェミニストでなくても激怒案件なので沼の民じゃなくてもみんな怒ってて、それがうれしい(謎)このあたりまで下りてくると共通認識「それはいけない」が出てくるね。

ふと思うのは、フェミニストにもスペクトラムがあるっていう話があってガチ勢とゆる勢といるわけで私は結構ゆる勢でガチ勢は知識を突き詰めてくれたりアクティブに政治的ロビイングやアクションをしていてものすごく助かる存在であります。たくさんの私のようなゆる勢がかの人々の背中を支えていこうじゃないか。そう思います。ゆる勢増やしたいのう。「私たち」はおたまじゃくしみたいに。がちがちじゃなくて流動性を保ちながら連帯する場として。っていう。「私たちには言葉が必要だ」の訳者さんも言っておられたよう。

さて、今日もTwitter振り返り祭りですよ。

今回新しく入ったカテゴリは「加害意識」。

何気なく何を傷つけているのか、戦々恐々としながら生きている。確実な罪の意識を予感している。震えながら生きていく。一番怖いのは自分の弱い心だ。最後の呼吸を吐き出すまで、私は自分の弱い心と闘い続ける。差別と戦う決意という、燈明が胸のうちにあり続ける限り、この闘いは終わらない。

差別と戦う覚悟を決めたとき、自分が「完全に」差別主義者でなくなることは諦めなければならないという現実に直面する。現在差別的で傷つける蓋然性が高いとされていることを学び尽くすことも困難だし、できたとしても明日は新しい学びが生まれている。「完全」を捨てて進化するフェミニストであろう。

罪の意識は学びの証なのでは? モラルが少しでもマシになったっていう証。進んだから自分の罪に気づける。女性への抑圧に限らず、数多くの罪悪感はそんな風に生まれてきたかも。成長の対価が罪の意識だなんてあんまりだけど、進むのをやめたくない。

いやー、惚れるじゃんこんなん。やっぱ初心が一番いいこと言うね。
進化するフェミニストであろう~~

おやすみなさい。良い夢を。

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