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最初は友愛など

フィリアについて。

今でこそこんな友達友達だいすき(しっぽフリフリ)
だいすき!Philiaだいしゅき~(花畑ウフフアハハ)
みたいな感じだけど、
12のわたしは、Philiaというものをもっと冷めた眼でとらえていた。当時は言葉を知らなんだから、「親しい友達関係」か。

昨日まで親しい級友だった人が、今日はよそよそしく、かける言葉は罵声だけ、という有り様に変わる。
骨の髄まで染み込んだその認知を戒めに、一旦全方位的好意に徹していた。
全員好きで公平に扱うけど、深入りはしない。
仲良くなっても、心は開かない。
1年、2年、そんな時間を過ごした。

そしてあの日、友達がわたしの心のドアをノックした日、また誰かと心を繋ぐことを選んだあの日。わたしはまた友達という関係性を信じることにした。
認知自体は変わらなかった。もし政治的に私を攻撃せざるを得なくなったら、そうしてほしい、我が身をかえりみずに。そう思っていた。逆に、わたしがそういう立場になったとしたらどうするかはあまりに答えが自明すぎた。幸い環境が良かったせいか、私たちはロミジュリにならずに済んだ。

その日々のこと。終始わたしとともにいてくれる親友のこと。向こうからすれば知るよしもないけれど、一旦植え付けられた不信感からのトップオブザワールドって感じだったのでチョモランマって感じでした。人というのはこうも、互いにとってかけがえのない存在になれるのかと。

友達ってすばらしい

だからその日以降わたしは、たくさんの友達を、仲間を、信頼し、愛してきた。その友達がいなければ、わたしは今も全方位的愛に徹していただろうしそんなわたしも見てみたいけれど。そうはならなかった。

アニメや、関係性への視点や。わたしの好きなものや考え方をじっくり見ていると、ふと懐かしいあなたの姿が浮かぶ。驚くほど親しくしていた友達がわたしの中にいる。

I owe you who I am today.

でも、今親しい友達が、数年後にわたしの中に懐かしく思い出されるときのことは、さみしくて思い浮かべたくないなぁ。

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