ぼくのかんがえた「かっこいいおとな」
タイトルこれしか浮かばなかった貧困ボキャブラリーのひさつぐです。
先日、いつも仲良くしてくださってるみーこさんの記事を読んで私にとっての「かっこいいおとな」って?と考えていました。
若かりし頃の私が思っていた「かっこいいおとな」はメディアに踊らされまくったものでしたw
ちょうどトレンディドラマがはやってて、顔だちの整った俳優さんや女優さんが恋のさや当てをしてたり、現実感がまるでないヒロインがこれまた普段着というにはかしこまりすぎなイブサンローランやエルメスなんかを日常的に身に着けて彼氏を街中でひっぱたいたりすっぴんに見えないすっぴん顔で起き出したり、とかなんかもう現実感どこ行ったっていうその時代ならではのドラマがいっぱいの頃でした。
決してdisってるわけではないです。そういう時代だったしそれが当たり前な時代だったんだよって言いたかったの。
で、そこで考えていた私なりの「かっこいいおとな」って10センチのピンヒールで街中を闊歩して、くるぶしまでのフランドルのコートにタイトなミニスカート。
髪はもちろんワンレン、トップは胸の大きく開いたV字のニットで真っ赤な口紅、まつ毛はくるんってなっててバリバリ仕事のできるおねえさん!!
うん、書いてて気がついたんだけど若いって怖いよね、まじそんなこと考えてたんだよなーってorzってなったww
夢見がちだったのは仕方ないよね、だって若かったから!世間知らずだったから!!と、言い訳大魔神になってみるww
でもさ、いつのまにか成人式を済ませて、結婚したと思ったらすぐに子供産んで二番目の子も年子でそんな「かっこいい大人」をする時間なんてなかったような気がする。
っていうか今でも思うんだけど
私はいつ大人になったんだろう?
って考える。
世間的にはお酒を飲んでもいい年齢、たばこを吸ってもいい年齢って20歳だよね?
でも私は成人式も出たしおめでとうもいわれたけど自分が「おとなになった」時をちゃんと把握してない。
20歳になったから大人の仲間入り。
それはわかる。
だけど、私自身が「自分を大人だ」って思えたことはあまりない。
子どもを産んだことに対しても「これで母親だ」って思えたことはない。
ぶっちゃけて言えば「子供を産んだだけの人」にはなったけど、「母親」になれたと思えたのはまだ数えるほどしかない。
子どもはもう三人とも社会人で一番上なんか20代後半のアラサーになるのに、だ。
こうして書いていたら少しわかってきたんだけど、私は極度のマザコンで、自分の母親イコール理想の大人としてきてるんじゃないかって思った。
母親は何でもできる人ではなくて料理だけは最高においしかったけど、洗濯は普通、片づけがすごく苦手で机の上を片づけるイコールすみっこにきれいに並べる人だった。
多分それは私にも受け継がれていて、娘に「なんでしまわないの?」って言われてやっと「あっそうかしまえばいいんだ」って気づく感じだった。
今でも片づけは苦手で掃除も苦手。
女の子産んでおいてよかったなってもうしわけないけど本当によかったなって思う。何回よかったいうんだww
で、私が息子を産んで実家に帰った時、母親に「やっと母親になったなって思う」と感慨深げに言っていた。
でもその時の私は「お母さん何言ってんの?」だった。
若かった私は子供を産めば自動的に母親になれるものだと信じていたから母の言うことが理解できなかった。
ただ、とても印象深かったので今でもこうして思い出すのだけれど、当時の母が何を指して行っていたのかが少しだけど理解できるようになった。
産んだだけでは子供とのつながりはへその緒だけ。
子どもに惜しみない愛情と教育と人として正しい道に導く道しるべを示して、それを受け取った子供がどんなおとなになるか、それを見届けたときにやっと「ああ、私も母親になったなあ」と実感する。のだと思う。
そうしてもうひとつ、母に教えられたことがある。
それは「決して親風をふかさないこと」
「親だから言うことを聞け」「親の言うことが聞けないのか」
そんなこと言われたら子供は従うしかありません。
だって生まれてから幼稚園や保育園、小学校の低学年あたりまで、子供は親の庇護なしには生きていけないんですから、親が世界の神様なんです。
親しかいない世界で何を教えるか、子供に対してどういう態度でいるか。
すごく大事なことだと思います。
だってこれすごく洗脳しやすい状況です。
相手は真っ白な赤ちゃん。
何を教えようとも自分の思いのままってちょっと書いてて怖くなっちゃった。
話を戻しましょう、そうしましょう。
先述の通り「産んだからと言ってすぐに親になれるわけじゃない」ことをふまえた「親風を吹かすな」は理にかなってます。
相手を自分が産んだ子供とみるかひとりの別個の人間として見るか、で対応は変わってきます。
そして私は時々この言葉を思い出しながらそれでもキーキー怒ったり感情のままに手を出してしまったりしてそのたびに落ち込んで反省しながら泣きながら子供と育ててきました。
まさに育児は育自、を体感してましたね、泣くたびに母に愚痴ったり子供に本気で謝ったり、ずいぶん情けないところを子供に見せてきた気がします。
で、今。
子供たちおもいっきりマザコンですww
変な意味の、ではないですからまあなんとかぎりぎり及第点をもらえるかなって感じです。
うちは旦那以外みんなそれぞれオタクです。
そういう連帯感もあるのかもしれませんが適度な距離を保ちつつ、未だにクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントは欠かしません。
これも子供たちが小さい頃、誕生日とクリスマスはプレゼントあるけど意味もなくオモチャは買わない、というおうちルールが子供に引き継がれてるのだと思います。
私自身記念日やらなんやらっていうのはあまり好きじゃなくて、誕生日とクリスマスくらいなら覚えていられる!くらいのゆるさだったのでw
あ、それとお年玉かな。
ぽち袋の絵柄を選ぶのがメインな行事でしたw
うーん、見事にまた脱線したなあwww
結局「ぼくのかんがえたかっこいいおとな」には、なれているのかもしれませんが、やはり母にはかなわないなと思ってしまいます。
むしろ追いつけないままでいいのかなとも思います。
ずっとずっと母は私の憧れで尊敬する大好きな「おかあさん」っていう理想のおとなだから。
なんかいい感じに締められた!!←って思っちゃうあたりが私の残念なところwww
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