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あれからいろいろありました※愚痴記事です閲覧要注意
令和元年。
昭和生まれの私はこれで元号3つ目です。
明治や大正生まれの方がいたらもっと感慨深くなってるのかなーなんて想像してみるけど、想像してみるだけで終わるw
まあそんなもんだよね。
さて、昨年末から生活環境がガラリと変わった我が家は5人世帯になりました。
入院していた旦那はリハビリ病院に転院という話が出ていたんですが、退院してもひとり暮らしは無理と診断されたので急遽愛知でリハビリ病院探し( ´△`)
病床数も少ないから難航するだろうなと思われた病院探しは「来週までに来ることができればベッド空いてます」とのお返事をいただきました。
渡りに船。って思うでしょ?
確かに助かった。
でも「来週までに」って準備もなにもできてないし家族会議もできてない。
連絡あってから「決めるなら早く」「いつまでに連絡もらえる?」みたいな電話が毎日来てこっちは「ちょっと待ってちょっと待って!」な状態なのにプレッシャー?でいっぱいいっぱいで泣きたくなった(´;ω;`)てか泣いた(´;ω;`)(´;ω;`)(´;ω;`)
そもそも川越でリハビリ病院探してたのにリハビリ病院からリハビリ病院の転院はできないって結構話を詰めてから知ったもんだから「話が違う」ってなった。
なんでそんな大事なこと後出しすんの(´д`|||)
単身赴任者ってわかってるんならその可能性あるのなら早めに知りたかったよ。
でも仕方ないから愛知の病院に転院したんだ。
その行き方もベリーハードだった。
まず足の悪い旦那を連れて交通機関はけがのもとになるから使えない→必然的に車で移動
しかも受け入れ先の病院からは「午後4時までに来てください」って!Σ( ̄□ ̄;)
家は近くにあるけどベッドもない子供たちだけだから寝るスペースも確保してない。
転院の話が出てからせめて半月あればそれなりに用意できるのにわずか数日でっていうと前乗りができない。
というわけで転院当日の朝5時に起きて6時に病院に迎えに行って、圏央道と東名をひた走って旦那を送り届けました。
ひとりじゃ絶対無理だったから娘が前日の夜に来てくれて同乗してくれた。
圏央道と東名の車椅子貸し出し可のサービスエリアやパーキングエリアをチェックしてガソリン満タンでスタートしたけど結局2回くらい給油した。
次の車検まであと1年もなくて廃車決定の軽自動車でひたすら走った。
ごはん食べると眠くなるから愛知につくまで私のごはんはエネルギーゼリーだった(´;ω;`)
サービスエリアでごはん食べたかったなーって思いながら。
入院手続きでバタバタして次の日に川越行くはずがダウンして翌々日になった。
まだいっぱいやること残して来てたから。
アパートの片付け、カギの引き渡し
車の廃車手続き
仕事場の荷物引き取り
退職手続きに関する書類のあれこれ
部屋にある荷物の送り出し
最後のごみ出し
細々としたこともあるけど手間がかかるのはそのくらい。
しかも退職とかカギの引き渡しなんかは相手がいるから都合つけたりするのが大変な上に私の体調もあったから結局半月くらいかかった。
この時点で2月初め。
転院が1月20日過ぎだったからがんばった。
やっと自宅に帰れたのは2月6日でリハビリ病院に行ったらあと1週間以内に退院してくれと通達された(´д`|||)
休む暇がない!!!!!!!!
その1週間で部屋の片付けして医者に行きまくって毎日朝起きたら夢だったんじゃないかって思って夢じゃないって現実見せられて精神的にぼろぼろだった。
いっぱいがんばったんだからもう少し休ませてって思った。
心は何回も折れた。
でも時間は無情に過ぎるし現実は残酷だった。
結局「遅くてもこの日までには退院」のギリギリまで病院にいてもらって片付けしたり掃除したりしながら一生ぶんのため息ついてた。
夫婦仲はいいとは言えなかったし、一緒に生活できたのは仕事で昼間いなかったからだし、新婚の頃に旦那への愛情が枯渇したから何度も離婚を考えて子供が大きくなるまではってがんばってきた。
続いたのは旦那が単身赴任して年に2度くらいしか帰って来なくなったから。
末の子供が就職した時にはもう家にはいなかったからすごく楽になって気持ちが楽になった。
それでもいつかは退職したら一緒に暮らさなきゃいけないけど仕方ないなとは思ってた。
まだ先の事だけど心や環境の準備期間は1年くらいあると思ってた。
それがまさかの
たった1週間!(´д`|||)
この世は地獄かなって思った。
今日で旦那が帰宅してから3ヶ月弱。
毎日晩酌するし、勝手にベッドもらってきて組み立てを自分がやらない(足が悪いからって言い訳してた)
糖尿病のくせに料理に醤油ぶっかけるし脂っこい牛スジを煮ろ煮ろとうるさい。
帰って1ヶ月でケンカ2回。
マナーは守らない、テレビつけっぱなし電気つけっぱなしで寝てるし、消したらまたつけてまた寝る。
やめてよと言うと「お前は細かい」と文句言われた。
いただきますごちそうさまをキレるほど言いたくないらしい。アホか。
話をすると聞いても返事がないからしつこく言ったら「返事しなくてもわかれ!」とおかしな事を言い出すから頭おかしくなったのかと(結構本気で)認知症疑った。
あとから謝ってきたけど私は悪くないから絶対に謝らなかった。
毎日パチンコにリハビリだからと歩いて通ってたから「ついでに帰りに買い物してきて」と頼んだらちゃっかり自分の飲むお酒も買ってきてもうだめだなといろいろあきらめた。
つい先日も何度も言っても忘れるからなんで忘れるのかと聞いたら「覚える気がないから」と言われて本気でこの人ダメだと思った。
家族間でも気遣いや思いやりは必要だし、家族だからこその気遣いは重要なのにそれを怠っていたらろくな最期を迎えられない。
家族はわがままや理不尽をぶつける相手じゃないのに。
とりあえず毎日SAN値ゴリゴリ削れていくから大好きなマンガやアニメ、小説を読んで充電してる。
家族でも集団生活だから
自分の使った食器は自分で洗う
自分の飲む酒は自分で買う
最低限これだけはやってくれと言ってるけど朝昼兼用ごはんを食べたあと、夕飯直前まで食器は放置したり、お箸もコップも割れる素材じゃないのに酔って落としそうだからと屁理屈こねて朝までシンクに放置する。
お酒飲んでいい気分のままベッドに入りたいのはわかるけど、ここは宿屋でも居酒屋でもないんだけどなってため息増えるばかり。
言ってもきっと右から左だろうし、本気で会話してるとこっちが疲れるから家族の誰もまともに相手しない。
まともに話しても途中で聞かなくなってるからバカにされた気分になる。
だって「聞く気がない」んだもんね。
冷たい嫁だと自覚はある。
でも最初に愛情出し渋ったのは旦那。
私も感情ある人間だからまともに向き合って傷つくのはごめんだ。
私かいくら歩み寄っても旦那からは歩み寄ってはくれなかった。
私はそこまで奴隷体質じゃない。
愛情どころか情さえも枯渇してるからお客さん扱いしたら気が楽になりました。
でも旦那は家族然としてるから時々いらっとする。
たった3ヶ月で、とかもっとひどい状況で何年もがんばってるひとからしたら甘いんだろうと思うけど、介護や子育てや親切や思いやりや気遣いは根幹に愛や情や恩かあるからできると思う。
そのどれもを見事に旦那に潰されたからもう無理。
むり
というわけで盛大な愚痴吐き記事でした。
お目汚しお許しくだされ(´;ω;`)めっちゃたまってたんです。
小出しに書こうと思ってたけどこういうネガネガしい記事は読んでも楽しくないから一気にまとめてみた。
文字にするとそれだけで昇華できるような気がするからね。
次は何の記事書こうかな!