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愛しきつばめよ明日こそ

「投手がいい時何故打てないのか」
「打っても何故だか打たれて負けてる」
という歌詞が頭の中をぐるぐるめぐる。さだまさし作詞作曲「つばめよつばめ」。真理過ぎるよなぁ…。ものすごく当てはまっててしみじみしてしまう。
この歌がカラオケに入ってたらほぼ歌う。96敗の年に作られて、去年はさほど意識しなかった歌。
こんな状況は、昔から繰り返されてきた。ああまた…と思うけれども。
だけど、本当は繰り返しじゃない。同じ試合は二度とない。全く同じ展開の試合など二度とはやって来ない。

試合は生き物だ。見ているとつくづくそう感じる。流れがある。ぐうの音も出なくなり、でも死んだかと思うと息を吹き返したりもする。
1本のホームランで。1つのエラーで。流れは変わる。
思い通りになんて、なかなかならない。
飼い馴らすことのできない魔物なのかもしれない。
そうしてなかなか思い通りにならないからこそ、望む展開になった時には心底嬉しいのだ。

つばめよつばめ 愛しきつばめ
明日こそ 勝利を我らに
今こそ 奇跡を我らに

さだまさしの歌を初めて知ったのは「雨やどり」で、多分小学生の頃。
グレープ時代の歌もソロになってからのアルバムも全部(姉が)買って聞いた。「防人の詩」とか「生々流転」などが発表されて。「ネクラ」と言われた時代。
今の人からしたら信じられないだろうなぁ。
「さだまさし=暗い」だったんだよ。コンサートでもラジオでも、今と同じで笑いっぱなしだったのに。

グレープ時代の歌には「高田の背番号も知らないくせに」なんて歌詞もあって、あの頃確かに彼は巨人ファンだった。だったがために、その後も私にはそのイメージがあったのだ。自分がヤクルトファンになるまで、さださんがヤクルトファンになったとは知らなかった。
何というか。ずーーっと変わらず、とは言わないが、人生の端々で付かず離れず一番多く傍にあった歌は、さだまさしの歌だった。綺麗な日本語。綺麗な言葉と音(例えば鼻濁音をちゃんと発音して歌っている。「頑張ってる」の「が」と「投手が」の「が」は違う音だ)
今でも運転していて眠気覚ましに歌うのは、当時聞いてた歌が多い。ソラでフルコーラス歌える歌が多いからだ。
楽しい歌も、寂しい歌も、切ない歌も、可笑しい歌も。
恋愛してた時にも、失恋した時にも。折れそうになった時も。
人生の笑ったり泣いたりを一緒に過ごしてきた。

野球に入れ込むことも、野球選手に入れ込むことも、恋愛に少し似ている。
幸せなことも、希望も失望も絶望もあって、でもさだまさしの歌には相手を恨む歌ってないのだ(全部を知ってるわけじゃないけど)。

選手が嬉しい時にはファンも嬉しい。選手がつらい時にはファンもつらい。
きっと今はみんなつらい。
我々には到底出来ないことを選手は出来るはずで、本当にすごい人達なのだけど。
でも、「勝とう」「打とう」「抑えよう」とどんなに強く思ってやろうとしても、簡単には出来ない時もある。
それに対して、ファンは「声を出そう」「応援しよう」「励まそう」と思ったら、すぐにその通りにすることができる。これは案外すごくないか。選手がつらい時でも、自分がつらい時でも、頑張れば応援は出来る。必ず。
ファンの出来ることは、小さくない。
うぐさんは、ライトスタンドの応援が好きなんだと言った。うぐさんがそう言うんだから、きっと選手はみんな応援されるのが好きだ。声は届いて選手の力になる。必ずなる。うぐさんはそう言った。
(それでも今は応援できないよ、という人はいてもいい。その人の分も頑張って応援するから)

明日は幸せが見つかるだろうか。
奇跡を我らに見せてくれるだろうか。
さださんはどんな気持ちで見ているだろう。

ひょんなことで知ったのだが、さださんのマネージャーさんは平安出身で、だからさださんも奎二くんが一軍デビューするのをまだかまだかと心待ちにしていたのだそうだ。
それが本当に嬉しくて心躍る。自分が大好きなチームを、大好きな選手を、大好きな歌手が好きでいてくれる。

明日明後日、愛しきつばめたちが元気に野球をして、幸せを我らに届けてくれますように。
奎二くんにもさださんの応援が届きますように。

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