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自分の人生に感動してみる

 自分の子供が生まれてからというもの、以前に比べて少々感傷的になることが増えたような気がしている。それに理由はよく分からないが、他人のストーリーに感動することが多くなったような気もする。そこで、ふと思ったことが...

”俺、自分の人生には全然感動してないなぁ”

 他人のストーリーに感動することは、さほど難しくない。世の中には人の数だけストーリーが存在し、たとえ知り合いでなくても他人のストーリーに感動することがあると思う。

 それも大事なことだが、人生を楽しく過ごすには自分の人生にも感動しなくてはならないのではないか、とふと思った。みなそれぞれが通ってきた道は決して平坦ではなかったはず。しかし、自分はツラいと思った経験でも、他人の経験談を聞くと、

”自分の経験したことなんてちっぽけだ…”

 なんて思ってしまうことはないだろうか。
 ちなみに僕は大いにある。何度もある。

 では、どうやって自分で自分の人生に感動するのか。 それは、「自分がしてきた経験は、歴史上誰一人として経験したことのない人生だと理解する」ことが一つかなと定義してみた。

 しかし、ただそう思うだけでは無理だろうなとも思う。例えば、自己啓発書を読んだり、自己肯定感を上げる類の記事やSNSの投稿を読むと、自分が一人のかけがえのない存在であることが語られている。しかし、かけがえのない存在であることをちゃんと自分の中に落とし込むにはどうやればいいかということが実は非常に難しかったりしませんか?義務教育で教えてほしかったですよね。

 ちなみに僕の中で答えはまだありません。すみません… でも、ひとつ、自分の人生に感動するためのヒントみたいなものは持ってます。

 僕の愛読書「賢者の書/喜多川泰著(ディスカヴァー・トゥエンティワン)」の一部に、「自尊心と他尊心が同じ高さでなければならない」という言葉があります。そもそも「他尊心」という言葉は辞書には存在しません。自尊心は文字通り "自分を尊いと思う心を持つこと" だと思うのですが、それが他人にあってもいいんじゃないのということです。
 しかし、他人を尊いと思う心の方が強いと、自分をへりくだり過ぎたり、自分を価値のないものだと捉えてしまいがちです。
 かと言って、自尊心が高すぎる人は嫌われますよね。相手への敬意があってこそフェアなコミュニケーションが取れたり、スポーツだとフェアに戦うことができます。
 「賢者の書」の内容と少し違う解釈になりますが、自尊心や自己肯定感が低い人は他尊心を高めすぎているか、自尊心を下げ過ぎているため、自分を価値の低い人間だと位置づけてしまっているということです。そうなると、自分の人生に感動できないのは当然のことですよね。物事を見る軸が他人になっているような気がしませんか?軸は自分に置かなければいつまで経っても自分は変わらないような気がするんですよね。

 というわけで、自分の人生に感動したいなぁと、ふと思ったわけですが、皆さんはご自身の人生をどのように感じていらっしゃいますか?
 僕は自分の人生が楽しいって思える瞬間を味わいたいなと毎日思うんですが、なかなかそういう日々にはなっていないのが現状です。だったら、どうすればいいかを考えた時に、すぐできることって一つ一つの物事に対する考え方や捉え方を変えていくことなんじゃないかと思っています。過ぎ去った自分の経験も、感動できるような捉え方をすることで、今日からの未来は少しずつ変わってくのではないでしょうか。

 という悩める自分に向けて書いた記事でした。

ひさしマル

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