幸せなはずなのに、過去を生きる虚しい人生... からの半年で今を生きる人生への転換
久々の投稿です。2023年1月ころに公開せずにただ書き綴った文章を、同年9月の今になって、なんとなく公開したくなったので投稿します。
__2023年1月に書いた文章___
今年33歳二児の父の嘆きを綴ります。
この記事を書いているのは仕事真っ最中の時間です。やるべきことは沢山あるが、一切手につかないので、今日は定時の時間までダラダラ過ごすつもりでいるクソ社員です。
現在、娘二人の父として、平凡な日常を過ごしています。仕事は通勤に片道1時間半以上かかるものの、9時17時のホワイトカラーで残業は繁忙期以外は一切ありません。朝は6時に起床し、長女と二人で朝ご飯を食べてから家を出ます。18時半~19時に帰宅すると、家では妻が娘二人の世話をしながら夕食を作ってくれています。夕食が終わったら風呂に湯が張る間に皿洗いをして、その日の長女の気分で妻か私、どちらかが娘たちと風呂に入り、寝かしつけをします。私が寝る前に絵本を読み聞かせるのが気に入っているのか、長女は最近私に寝かしつけられることを希望します。絵本の読み聞かせが終わり、水分補給やオムツの着け替えが終わると一緒に寝てくれます。これで私の平日は終わりです。妻が毎日洗濯をしてくれているので、私は在宅時に家事や育児をやっている感覚はありません。妻とも喧嘩もしませんし、娘二人とも毎日ニコニコと笑顔で私と接してくれるので、日々幸せな家庭そのものだと感じています。私が仕事の無い日は、妻か私の元気な方が朝から掃除や洗濯をしたりします。私が元気な日は長女と外で遊んだり買い物したりしています。次女がまだ小さいため家族で遠出をすることはほとんどありません。また私は副業をしているので、土日のどちらかに2時間ほど在宅で仕事をしています。土曜の夜に都合がつけば、Twitterで知り合った仲間とオンラインゲームを嗜みます。
ここまで一見すると順風満帆な人生のようにも見えます。こうやって書いていると、自分でも何が虚しいのか分からないくらい満たされた日々だと感じます。しかし、現在私は憂うつな日々が3年ほど続いています。この憂うつな日々を解消したいと思い、キャリアコンサルタントという国家資格を取ったり、ゲーム配信を始めたり、育児休暇をいただいたり、副業を始めたり、転職活動をしたりしながら、もがいてきました。しかし、どれも結局大きな成果には繋がっていません。これらはすべて、根本的な問題を解決するためのものではありませんでした。その根本的な問題の上から蓋をするためのものを私は探していただけでした。
では、その根本的な問題とは何か。私はずっと自分の中で一つだけある答えをずっと考えながらも、抑え込んできました。しかし、それは今の環境をすべて失うかもしれないと思うと、怖くて言えずにここまで過ごしてきました。私は人間の心の持つ力の大きさに恐ろしさを感じています。これを書きながら、その根本的な問題を具体的に書くか書くまいかさえ決めていません。今はただ、今の感情をそのまま綴ることにします。
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いつからだろうか。私が自分の本音を言わなくなったのは…
いつからだろうか。他人の意見に流されて日々を過ごすようになったのは…
いつからだろうか。その場を丸く収めることを正解にする様になったのは…
中学校卒業までは父方の祖父母と過ごす時間が長く、礼儀正しさのようなものを躾けられつつ、友人とよくふざけて遊んでいたような気がする。宿題はやらなかったが、大人の言うことは聞かないといけないとは思っていたような気もする。
高校に進学して野球部に入部するも、朝練と夜練が厳しく母親の家事負担が大きくなり、父親に退部を促され、1週間で野球部を辞めた。確かに体力的にかなりしんどかったし、その瞬間は辞めて解放された部分もあった。しかし、その代わりに親の飲食店でアルバイトをすることになり、その後7年間+αのアルバイト経験は苦行だった。苦行の主な原因は両親の喧嘩で、両親は営業中にもくだらない喧嘩をして店の雰囲気を悪くしていた。特に父親はストレスが溜まっているのが目に見えて理不尽なことを母に当たり散らかしていた。さすがに常連さん来店時に喧嘩をしていた時は、そんな親の姿を見せるのが恥ずかしくなり、初めて「いい加減にしてくれ」と、僕が両親にブチギレたこともあった。私はなぜその時にブチギレたのだろうか。それまでずっと我慢していたのに。
実はそんなことはどうでもいいことで、現在は両親との関係はとても良好だ。両親との関係がどうこうというよりも、私はただ誰かに聞いてほしかったのかもしれない。私がツラい経験をしていたことを。自分の思いを吐き出すだけでも少し楽になるのは本当に不思議なことだ。しかし、今の私はこんなちっぽけな自分の思いを吐き出す場所が無いのかもしれない。
周りの人に合わせて生きてきた人生。自分のやりたいことが分からない人生。これが示す未来は、周りに流されたまま生きる虚無の日常かもしれない。
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現在(2023年9月)に戻ります。
今は、前述の職場から転職して、以前のような虚しさから少し解き放たれた感があります。年収4割減で家から1時間ほどの同業に転職しました。前職は事務総合職の位置付けでしたが、現在は専門職としてやりたいことだけをやっています。
今は不思議と親の飲食店で働いていたことを悪い印象として認識していません。なぜでしょう。半年ちょっと前は吐き捨てるように嫌気が差した過去の出来事が気になりません。
たぶん答えは、「今を生きているから」でしょう。過去に生きると悪い記憶が今の人生を表しているように捉えてしまう。良い記憶の中で生きていると、今足りないことを嘆きます。人は今を生きるべきなんだとヒシヒシと感じる今日この頃です。
ひさしマル
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