生存
ネタがないのをネタにする漫才とか同筋の漫画を滅多に見ない。多分あーいうのは地力が出るしそんなんするくらいならまとものネタを作れとまっとうなツッコミが入るから誰もやらないのだろう。どうせやったところで最初に完成させた者以外に成功者は生まれないのだろうし。だからダウンタウンなり曽山一寿なり、人気によってある程度に本職の自由を得たプロフェッショナルはあの手のスタイルをやってもウケる。ところでこういう考えを述べたのはブログを書こうとページを開いたはいいが何もネタがなくて文字通りネタがないのをネタにした次第。知名度も人気も夏になりかけの時期に出没する蚊に等しい俺がこんなことやっても面白くなるわけないがどうせ誰も見ないしいいねをつける人間だって真面目に見たりしない。Twitterからブログまで確固たるテーマのない文章というのは独り言の体裁となる。実際はどうかなんて自他ともに知りたくない。4月の頭から緊急事態宣言とか単純な恐怖とかが元来のものぐさを後押しし、現在まで娯楽を求めた外出をしていない。部屋から徒歩10分のバイト先、それ以上の距離を出かけたのは公的審査登録うんちゃらかんちゃらで役所に行っただけ。あとは食い物を探してコンビニやらスーパーやらへ頻度を減らして行ったくらい。コンビニで働いていて呑気にたばこやら酒やらスウィーツやら買いに来る奴に腹を立てている手前、無能な外出をする気にならなかった。この禍の中で最大の発見は三半規管の貧弱がマスクをつけた生活に響くことだ。業務用の安価なマスクをつけて仕事してると勤務開始数分で頭痛、そのうち車酔いとまったく同じ嘔吐感に冷や汗に目眩とノイズとサイケカラーのエレクトリカルパレードよろしく酷い気分に陥った。マスクのゴムが耳を引き絞るたびに不細工な目瞑り面を仕立て、客が失せたのを見てはマスクを外し呼吸した。雑魚なマスクはそれだけで呼吸すら忘れさせる。何度「呼吸を忘れて」のタイトルで詩を書いて恨みを潰そうと画策したか、結局まったく同じタイトルの曲を見つけたから止めてしまった。もうしばらく詩は書いていなくて、今は「明日があるさ」の歌詞を若い世代に共感得やすい内容に書き換えて合唱する漫才ネタを書いている。