自己紹介
ご覧いただきありがとうございます!私、大片久について、簡単に自己紹介をしたいと思います。大片(おおかた)というのは珍しい姓です。私の出身の広島を中心に全国にも数十軒しかない姓です。
1.広島市生まれ、陸上部長距離少年
広島県広島市の佐伯区五日市という地域に生まれました。極楽寺山という山を登ったところに家があり、瀬戸内海を望むことができる場所です。高校は井口高校という高校で、陸上部に所属して長距離を専門とし、朝夕と部活に励んだ部活少年でした。
2.大学からは岡山県に。さまざまな経験。
部活動でケガをしてリハビリの道に進むという、リハビリ職の中では割とありきたりな理由で大学の理学療法学科に進学しました。とはいえ、私はケガをした際には理学療法士を受けたことがなく、あまり具体的なイメージはなく、当時は特にこの道に進みたいというものが見つけられない中で迫られて選択したように感じます。
岡山県高梁市の吉備国際大学に進学し、高梁市で4年間を過ごしました。先ほど書いたようにあまり理学療法に対して思いが強くなかった私、総合大学でいろんな学科があるこの大学に進んだことで、多くの経験をすることができました。ボランティアセンターのボランティア活動に参加してみたり、他の学科の人と接点ができて、ゼミに参加させてもらったり、さまざまなアルバイトに挑戦してみたりしました。
3.岡山県勝央町内に就職、介護保険分野へ
ボランティア活動の中で高齢者施設の活動をしたことで、自分にとって介護保険分野のイメージが強くなり、介護施設に就職しました。高梁市ののんびりした生活が自分に合っていたと感じ、のんびりした場所で仕事ができればと勝央町(しょうおうちょう)内を就職先を選びました。
通所サービス(家から日帰りのサービス)を担当し、サービスの拡大期に関わり多くの貴重な経験をさせていただきました。
4.大学院進学をきっかけに京都へ
母校の恩師の先生と学会でご一緒したことがきっかけで、進学に関心を持つようになりました。その先生のご縁で、京都教育大学大学院に進学、引っ越すこととなりました。
日中は身体障害者施設のリハビリの仕事、夜間は大学院という生活で少し大変でしたが、充実した日々を過ごすことができました。関西での暮らしは違う文化で新鮮でした。
5.岡山県へ戻り、地域の中のリハビリを
縁あって、京都の大学院を卒業後は岡山県に戻ることとなりました。修士課程で自分なりに消化不良だった大学院生活は、岡山県立大学で延長戦に突入します。ありがたいことに勝央町での仕事に戻ることとなります。
以前から、利用者さんのことを考えた時に、通所サービス以外にもその人が暮らす地域全体に関わる仕事がしたいと考えていて、たまたまタイミングがあり、外部からのサポートという形で勝央町役場の仕事に関わることができるようになりました。
6.そのまちで暮らすことが健康につながるように
役場の仕事に関わるようになり、健康や福祉以外の多くの部署の多くの事業が人々の生活に関わっているというその一部を知ることができました。まちのイベントは地域に住む人の活力となり、まちに住む若い人が増えることは税収増加になり、健康や福祉のサービス向上につながります。
地域活性化を担う「一般社団法人 しょうおう志援協会」と出会い、まちづくりの活動に関わらせてもらうこととなりました。リハビリの分野でもまだまだ勉強の途上ですが、地域活性化のことは初めてで、経済の知識、情報発信、事業計画の立て方など学びながら前に進もうとしているところです。
こんな私ですが、どうかお付き合いいただければ幸いです。