
山下清展に行ってきた~人が人を隔てる理由とは?~
こんにちは!HISAYOです!
先日滋賀県は守山市にあります、佐川美術館まで足を運び、「山下清展」を見に行ってきました。

故・山下清さんの人生を描いた、「裸の大将」は1980年代~1990年代に大ヒットしたドラマです。俳優である故・芦屋雁之助さんが見事演じられ、いつも家族でこのドラマを見ていたのを思い出します。
あの有名な長岡の花火大会の絵を描き終えたあと、こう言ったそうです。
「みんなが爆弾なんてつくらないで、きれいな花火ばっかりつくっていたら、きっと戦争なんておきなかったンだな。」

山下清さんは、風邪の後遺症で障がいを持ち、彼の書く作品は「障がい者アート」「アウトサイダーアート」の位置付けだったそうです。
(絵画教育を受けた主流のアート「インサイダーアート」と対比してこう呼ぶのだとか。)
「アウトサイダーアート」という分類名がどのような意図を持って名づけられたのか、詳しいことはわかりません。いわゆる「正規」とされる美術教育を受けた人と、そうでない人と分ける必要があるのでしょうか?
「素敵だ!」と心動かされたことを絵や文にしたしめることは全部アートだと、私は率直に感じました。
旅先で見た好きな景色を何度も描いたり、上記のような、平和をただひたすら願った純粋なセリフを発した山下清さん。
彼の作品を目の前にして、イン(内)サイダーアート、アウトサイドアート(外)、健常者アート、障がい者アートと対比させる理由はどこにあるのでしょうか。