見出し画像

舞台と日常を愛でるライターになります。

自己紹介

初めましての方も、知ってくださっている方もこんにちは!綾ひさよです。

これまで「熱いこころをPR×ライティングで戦略的に支援する」活動をしてきました。

現在も企業のコンテンツ制作やSNS広報サポートを行い、商品やサービスに秘められた想いを広めるお手伝いをしています。

私と宝塚歌劇

ちょこちょこと発信しているのですが、私は宝塚歌劇が大好き。

宝塚好きの母と姉に連れられ、小学1年生で観劇デビューしました。

兵庫出身ということもあり、毎週のように宝塚ファミリーランドに行って(劇場のすぐ隣にあった)1日中遊び尽くすor宝塚歌劇を見たあとは、最後急流すべりだけ乗って帰る、みたいに過ごしました。

友達と「新喜劇いかへん?」のノリで「宝塚みにいこかー」となったり、家族ぐるみで仲良い友達家族と観劇したのち、宝塚ホテルでビアガーデンに行ったり。

仲良くなる子は後にヅカファンだったことが判明!みたいなケースもあり、劇場に行けば友達に誰か会えるかな?状態でした。

あえて遠ざけた時期もあった

観劇の頻度はその時々で、とあるジェンヌさんをご贔屓とし、まるでオペラ座の怪人のようにバキバキに劇場へ通った時代もありました。

が、結婚と出産を経て、以前のように観劇へ通えなくなりました。

独身時代と同じ頻度で宝塚に通うのは難しくなり、母親として家庭に力を注ぐべきだと考え、自ら平日の仕事を選んだこともありました。

これは、水曜日の劇場休演日と合わせ、観劇を抑制するための「自分へのルール」でもあったのです。

そんな職場も別の理由で退職し、以前と同じようにとはならずとも、誘われた公演をフラっと自分のペースで見にいくようになります。

父親の死やコロナの流行がターニングポイントに

舞台鑑賞が趣味から人生の道しるべへと変わったのは、2018年に父を亡くしたことと、2020年のコロナ禍が大きなきっかけでした。

今まで「あった」ものが一気に「なくなった」。
今まで「信じてたもの」が「疑うべきもの」へ。

こんなふうに価値感が大激震したときも、私は劇場に通い続けていました。

特に、余命1年だと急に診断された父親の闘病生活に向き合うなか、「命とは」「親子とは」「家族とは」考えても答えがでないようなことをずっと考えていました。

今思えば、目に入るものや耳にするもの、あらゆることから「自分なりの答え」が欲しくてたまらなかったんだと思います。

劇場という非日常な空間にいながらも、舞台が始まるまで、いや始まってからも頭のなかは父の治療のこと、転移する病院のこと、「本当に3ヶ月後にはこの世に父はいないのか?」という想いでいっぱいでした。

単に面白い!素敵!かっこいい!という感情より、あらゆるセリフや演出、タカラジェンヌとして舞台に立つ姿から思考のヒントを探していたかのように思います。

私の運命を変える作品となったのが、雪組公演「fff(フォルテッテッシモ)」。

父が亡くなって1年後に見た作品で、主人公ベートーベンが難聴という音楽家として一見致命的な「不幸」を受け入れた先に、「交響曲第9番」を完成させた。

「不幸を慈しめば、運命に出会える」というメッセージが主軸となった演目でした。

父親の死という一見「不幸」な出来事を嘆いてる場合ではない。父親の死を慈しみ、自分で運命を見つけにいくととすがすがしい気分で劇場を後にしたことを覚えています。

このベートーベンの生き方そのものが、物理的には目の前にもういない父と唯一繋がれる方法だと思ったのです。

多分、というか100%父親の死がなかったら、宝塚歌劇は単なるオタ活で終わり、こんな風にnoteに記すこともなかったでしょう。

そこから私にとって宝塚の存在が変化します。

「好きって別に多くのお金や時間を費やすことだけじゃない。今の私は、昔みたいにたくさんは見れないけど、感じたことを書き留めることでより深い思い出として心に刻むことはできる。」

そんな風に楽しむ方向へと自然と変化しました。

舞台は観る側のこころの状態によって感激ポイントや解釈が異なるのが面白い。私にとって舞台は自分のみえないこころを写し出す鏡なのです。

なぜ今舞台と日常を愛でるライターと名乗るのか

2024年はダイエットの一環でとことん自分の心や身体に向き合いました。

セルフケアを続けるうちに舞台鑑賞と同じくらい、日常を愛した1年でした。

朝起きた時の爽やかな風。

体の内側から欲する食事。

酷使した体を労るストレッチ。

こんなふうに自分の心や体と向きあい、これまでは忙しすぎて味わえなかった日常の尊さを味わい尽くしました。

目標達成までの道は辛く、厳しいもの

昔から私は、何でも目標達成するには自分の鞭を打って、歯をくいしばって無茶をすることが必要と思いこんでいたのです。

例えばダイエットにしても、思春期の頃は当時流行った渋谷109系の洋服が着たい!と一念発起でダイエット。

痩せたい太ももやお腹にラップを巻いて、真夏でもサウナスーツを着込んで毎晩1時間のランニングするうちに見事-8㌔達成!

だけど食事内容が変わらないのでみるみるうちにリバウンド。「お昼ご飯はスタバのフラペチーノでいい!」と本気で思ってたいのです…

社会人になってからもこれを4回くらい繰り返します。

若いときから肩こりやむくみがひどかったのですが、とりあえず体重の数字を減らすのに必死で自分の心や体の声をきかず、雑に自分の体と向き合っていたんですね。

ワンオペ複業ママはダイエットも諦めざるを得ない?!

産後のダイエットも「30代前半、産後、4回のリバウンド経験」のトリプルコンボで悪条件だったため、さすがに同じような食事では痩せない。

ようやくここで「小麦はだめらしい。期間限定でパスタやパンを抜いてみよう!」レベルのゆる食事制限を開始。

目標体重間近の停滞期は、毎食きゅうり、ささみ、納豆。

運動の負荷もどんどんかけます。猛暑のなかでも最低1日1万歩!朝会った夫に、当日の夜「どうしたん半日でえらいゲッソリして……」と心配される始末。

ただ「早く痩せたい!」「こんなに太っている自分は無茶してでも努力しなきゃ!」

と自分にむちを打って、責めて、追い込みまくっていました。

そこに重なる家族の問題や、自分のキャリアの悩み。
ある日、張り詰めていた糸がプツンと途切れます。

「もう私は今の自分に妥協して生きていくしかないのかな」

体も心ももっと慈しみたい

そんな時に自炊スクールHIMARIを運営されているささまるさんのこんなつぶやきを見つけます。

この宣言のあと、すぐに「食と体のセルフケア」の募集が始まったのでで秒で申し込みました。

自分の心と体の声を無視して、ただ痛めつけるだけのダイエットはもう終わりにしたい。

「こんなに自分を追い込むなんて、私可哀そう!」ではなく「こんなに自分をわかってあげられる私、素敵!」へ。

「痩せたいなら家族や友達との食事の誘いを断ってでも集中すべき!」ではなく「大切な人と美味しいものを食べて心豊かになろう!」へ。

そんな新たな自分になりたくてセルフケアをスタート!開始から3ヶ月で5㌔は痩せました。

体だけではなく、感性、考え方、たくさんのことが変化しました。

舞台鑑賞は非日常、仕事や家族のことは日常。決して二項対立ではなく、舞台鑑賞を「ハレ」とすると日常は「ケ」。どちらも私の人生にとって欠かせない相関関係にあると気づいたのです。

「書く」ことに迷い続けた私が進む道

ある日、中秋の名月に『ムーランルージュ』を観劇しているとき自分のライフワークが降りてきました。


👇自分のなかで決意表明を固めた時に書いた記事はこちら。

「書く」ことを生業としている私だからこそ、舞台と日常を慈しんで得た日常のちょっとしたヒントを発信したい。 

いろいろと試行錯誤しながらにはなりますが、これからも発信を見守っていただけたらとても心強いです✨

どうぞよろしくお願いいたします。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?