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「自分が読んで楽しくなる」エッセイを書こうと思ったら書けなかった。でもそれでええねや。

「不幸を慈しめば、運命に愛される」

これは宝塚歌劇団雪組公演「fff(フォルテッテッシモ)」のなかのセリフ。
主人公ベートーベンが難聴という音楽家として一見致命的な「不幸」を受け入れた先に、「交響曲第9番」を完成させた。

彼の「運命」を表したセリフである。

公演時期は2021年。コロナ禍真っ最中で、未曾有のできごとに恐怖と不安に世界中がすっぽり覆われた時代。

今まで当たり前としていた価値観がいとも簡単に崩れ、私自身も何を指針にしたら良いのかわからなかった。

3年遡って2018年には、私の父も亡くなっている。享年70歳だった。

肺がんを患い、いよいよ乾いた喉を潤す一滴のお茶さえ受け付けなくなった最期のときでさえ、見舞いに来た私を気遣ってタクシーを呼ぼうとしてくれた。

「家で過ごすに最後の夜になるかもしれない」というときも、「棺桶のなかからはあげたくてもあげられへんから」と言って1万円をくれた。

私をあるがまま愛してくれた父が、余命宣告を受けてから1年でいなくなり、「生と死」を身近に感じ、ここから真剣にどう生きたい考えるようになった。

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当時「不幸」としか感じられなかった父の死をまっすぐ受け入れ、自分を見つめ、もがき、少しずつ進んできたから私は今の仕事がある。家族がある。人間関係がある。

そして私の生き方=書くことだと見つけることができた。

今日はマーブルコミュニティミーミーさんのエッセイ講義を受けたので、教えに倣って「自分が楽しくなるような」エッセイを書こうとしたけど、何の落ちもないちょっと暗めの話になってしまった。

でもそれでいい。明るくしたくても暗くなる、それが私だから。
noteはあるがままの自分を愛するところなんだとミーミーさんから教えてもらったから。


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