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エンパシーサークルで出逢った小石

今日は、6月あたまに体験した
NVCエンパシーサークルでの気づきをシェアします。

●NVC=Nonviolent Communication

非暴力コミュニケーション、共感型コミュニケーションと訳される
その学びは、わたしの身近でもここ数年で
確かに見たり聞いたりすることが増えてきていました。
こちらに→NVC japanのリンクを貼っておきますね。
で、わたしが参加したのは、
以前podcastにゲストでお呼びした(→ここで聴けます)
おひさまのおうち後藤小巻さんが主催された場です。
彼女は「いのちが喜び輝く✨育自&育児サロン」を通して
自身の実感に基づく学びや知恵の数々をシェアしてくれています。

NVCもそのシェアのひとつで、
なかでもこのエンパシー(共感)サークルは、
感情やニーズの72枚のカード(エンパシーカード)を参加者全員
で囲み、やりとりをすることでNVCを体験するというものです。

ひとりの話者が何か話をして、それが終わったら、
その話からどんな感情や願いを感じとれたか? を
参加者ひとりひとりがカードのなかから選び出していく。
話者本人は、並べられたカードの中から、さらに、
こころに響くものを選び出していくことで、より深い内省を行い
その場にいるみんなにシェアすることができます。

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👆体験のときに、選び取られたカードたち。
 こちらをむいているのがそうです。
 そのなかでも上3枚が、最終的にわたしが選んだカード。
 「大事にする・される」「お互いが満たされていること」
 「(自分に)本物である」が並びました。

●「願い」につながる●

感情や想いについて、
わたしたちはポジティブな色、ネガティブな色を感じ取るものだけど、
でもほんとうのところ、あらゆる想いには、
その奥にただ「願い」があるだけ。
そういう意味で、いい感情もわるい感情もなく、あるとしたら、
それは、どんな経験(知恵)から来たもの? とか
それは、自分の幸せな人生にとって役に立つものかどうか? とか。

何層にも何重にも重なった、酸いも甘いも様々な
経験と、記憶のカーテン。
曇った窓ガラスの奥で眠っている「願い」は
何を語っているだろう。
その願いは、誰のもの? 
ほんとうにわたしの願い?
今もそれを、願っている? 

わたしは、昨年から続けているヨーガスートラの学び
「魂の声を聴く」の実践を通してずっとそれを繰り返してきました。

小巻さんのエンパシーサークルを囲んだ6月は
スートラの学びの、自分からの小さなシェア会も始まっていて
新しい実践と気づきでどんどん変容していることを感じる最中でした。

その日は特に調子も良くて、話者として語ったことは
その直前にあった大きな気づきのシェアでした。
カルマ的な悲しみを漠然と引き受けていたような気がする、ということ。
そのストーリーを読むことで癒される部分もあったが、
もう、その物語は本を閉じようと思っているという決意のようなこと。

すっきりとした気持ちで話しをして、それ以上に何かここに
見つけるべき眠った願いはないと思っていたのですが……

「自分は不完全でなければ(親から)愛されない、と
 久乃さんは思っていたのかなと感じた。
 でも、本当はそんなこと、ないよね? 愛されてるよね」
と、最後に小巻さんに言ってもらって・・・
「あ・・・!」とまた大きな皮がむけたような想いがして
気づけば涙が溢れていました。

未処理でこれからのテーマになると思っていた
「お金へのブロック」の鍵がそこにこそあり、
いきなりばーんと開いた感じがしました。
そして、カルマ的云々ではなくて、
もっともっと触れるべき、自分自身の想いに、
まだちゃんと見つめられてないものが、
しかもこんなに重要なものがあったーーー!と驚きもしました。

そこからは、もう、出てくる出てくる、寄り添うべき様々な感情、
涙も感謝の気持ちもだーだーと溢れるままに
統合の、手放しへの、儀式となりました。

それをサポートするのに小巻さんが使ったのが、
感情を癒すために作られたアロマオイル。
その深い香りに包まれながら、イメージがうかんできたのは・・・


*****
わたしの胸元、より喉に近いあたりから、小さな小石を取りだしました。
それを感じてみると、たった今、川や海辺で拾い上げたような
ひんやりとしたさみしいそうな小石です。
わたしはそれを、手で包んで、感じた後、
楽しそうな、子どもたちが遊んでいる広い場所に移動しました。
そこは「色とりどり」という言葉がぴったりな、
でも光で真っ白に見える場所で、小石を返す誰かを探すと
神さまのような、大人の存在を感じました。
わたしはその人に、小石を渡すと、その人は、
白い服のなかに、もしくは、光あふれるその体内に小石をとりこみ
石は見えなくなりました。
*****

小巻さんの誘導で瞑想状態のまま感じることを続けていくと、
その人に託した小石は、温かさ、安心感そのものになって
光になりました。
わたしのこころは、満ち足りた安心感と喜びでいっぱいで
ただただ、自然と微笑みながら涙がこぼれるのでした。


●自分を生きる●

わたしは以前からよく
「自分ばかり話して申し訳ない」と思ってしまう癖があって
そういうものじゃない、正直であればいい、とあたまで理解はしても、
場のバランスをはかろうと心が動くことがよくあります
(できるできないかは別として)。

でも、自分が話者を務めたあとに、
別の参加者が話しをしてくれたサークルを体験してみると
それぞれがそれぞれの心から、体験や想いをシェアしたり、
内省を深めていくそのプロセスを共有させてもらうことは、
本人以外の参加者の深い部分にも響き、
それぞれに必要な癒しや気づきを起こしてくれることがある。
そのことを体験したことも、とてもとても大きなことでした。

自分が癒されることは、世界を癒すことに繋がる。
なぜならわたしたちは、深いところで繋がり、ひとつだから。

ひとりひとりが自分を生きる。
それは自分ができるたったひとつの世界への捧げもの。
ヨーガスートラの先生も、ずっと語ってくれていたことでもありました。

podcastで小巻さんが話してくれた「まんまるの自分を生きる」ことや
小巻さんが実践している「ギフトに生きる」ことも
同じことなのだと、今では前よりもずっと深くそう思います。


●おわりに。最近の気づき●

この世に生まれて最初の人間関係が親子、家族関係。
そこでの体験や
そこで身につけた知恵が
ここまでの自分の「杖」や「オール」だったのだと思います。

幼少期を経て、少しずつ社会に出て新しい関係、新しい体験も重ね、
そうすることで知恵も鎧も、着替えたり、捨てたりしながら、
ひとまずここまで生きてきた。そんなひとりひとりが尊い。

で、今、状況も環境もおそらく大きく変化してるけど
オールは変えないで良いのかな?
もしくは、乗る舟のタイプはこれで合ってる?
船頭さんは、どんな人が導き手としていいだろう、選べるんだよ。
そういったことが、ずいぶんと腑に落ちてきました。

良い悪い、責任の所在の追求(責任逃れ)、競争etc
わたしたちは、本当に、知らずしていつのまにかずっと
不足感をベースにしたそんなパターンにはまってきた。

本当は誰かより秀でることなんか目的でも願いでもなかった。
わたしがわたしとしてあれるだけで、満たされていたはずだった。

仕事、パートナーシップ、子育て、日常の選択、お金のこと
不安を感じることがあればその奥には必ず
「比較」や「競争」があることに気がついてしまいました。
もう、あらゆることに、ぬかりなく、びっしりと、です。

わたしのなかにこんなにも染みついてるなんてと、
このパターンから本当に抜けられるのかな・・・と
少し弱気になったりもしたここ1~2週間もありましたが、
たぶん、大事なことには繋がれたと思っているから
何度も何度も、トライアンドエラー、自分で塗り替えていくだけ。
この世界は様々なパターンで、わたしにそれを実践させてくれる。


少し話が飛躍しましたが、
そういうわけで6月のエンパシーサークルは、
本当に大きな感動体験でありました。

終了後、少し歩いた20分の間、目に見える景色はキラキラと
またどんどんと新しい気づきをもたらしてくれました。
一瞬、もう、絵本じゃなくてもいいのかもしれない
思えたときには驚きがありました。
同時に、なぜ、小さな人に向かうものにこだわっていたのかも、
理解できたような気がして、ふっと何かが溶けたのか、
「ただ、好きなんだ」という想いが湧いてきたとき、
ほんとうに嬉しかった。
先ほど書いた「なんでも比較、競争だったんじゃん」の気づきへの
予兆でもあったのかなと、今ぼんやりと感じています。


そうそう。すてきな後日談。
このエンパシーサークルを共にした参加者のおひとりに
奇跡的なタイミング&嬉しい場所で、ばったり再会しました。
この再会の「約束」というか、「お誘い」は、
実は小巻さんのおうちで会っていたときは吞み込んでいたことだったのに、
宇宙は聞き取ってくれていたのか、叶ってしまった!!!
な~んてことがあったのです。
ちょっとぼんやりとしていますが、長くなるのでこんなところで🌈

この体験のシェアを、
小巻さんからのギフトへのお返しのギフトとして、
そして、読んで下さる皆様へのギフトとして、捧げます!
ありがとうございました💛

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大川久乃
わたしの創作活動をサポートしてくださる方がありましたらぜひよろしくおねがいいたします。励みとし、精進します。