見出し画像

#”母のような働くお母さんになりたい”が始まり

今回話したいのは、母のはなし。私の原点。
”母のような働くお母さんになりたい”

と、子供の私が思っていたことは、“とても難しいことだ”と大人になった私は知りました。

責任者になって、五十路を過ぎて、私がいま思うこと。。。

母は看護婦。でした。

フルタイムで働いている働く女性でした。
当時にはまだ珍しい共働きの家庭で私は育ちました。
子供の頃、母の勤めている病院に何度も出かけたことがあります。
袖をまくりあげた白衣で動き回っている母の姿を単純に”かっこいい”と目で追っていたものです。
ナースキャップもとても似合っていて、私の憧れでした。
私も”働くお母さんになりたい”と思うきっかけ、始まりだと思います。


時が進んで、私は高校生になりました。

男女雇用機会均等法の制定や施行に関する話題がTVで賑わっていて、社会情勢なんてチョー無関心な私の中にも男女雇用機会均等法と言う言葉が頭にすりこまれていきます。
そんな時代の流れの中、

“自立した女性になりたい”
“〇〇さんの奥さんや〇〇ちゃんのお母さんだけでなく、1人の人間として自立した女性でありたい”

という思いに、成長とともに変化していったのだと思います。

“結婚して子供を持つ”と
“仕事を続けてキャリアを築く”という両方を得たい

ということがとても難しく困難な事だということは当時の私にはまだ、全く思いもしないことでした。

資格を持っている方が長くお勤めができるというような思いもあって、薬学部に進みました。
順調に大学を卒業し、薬剤師の国家試験に合格し、無事に病院薬剤師になりました。
“働く女性”としてのスタート地点に立ったのです。
私は、就職した病院で新しい調剤機器に囲まれ、調剤業務、麻薬業務、注射業務、薬品管理業務など多岐にわたる業務に従事し、病院薬剤師の道を歩みだします。
ちょうど、医療の取り巻く環境が変化し始めた時代です。
薬剤師は、服薬指導を通じて患者への適正な薬物療法を提供することで、プロフェッショナルな業務を実践できるよう期待をかけていたけるようになってきました。
薬剤師は、外来患者から入院患者への対応に舵切られた時期だと思います。



しばらくのお勤めの後、私はお付き合いをしていた現在の夫と結婚します。

幸せな家庭を夢見て、

ルンルン

“仕事も面白いし、続けたい。頑張ろうっ。“



なんだか最近、忙しくて疲れ取れにくいような、、、?

ある日の朝、突然、

オシッコがトマトジュースみたいに、、、
びっくりして受診したら、検査してもらうことに、、、

今度は、

コーラのオシッコ、、、こわっ

急性の腎盂腎炎ということで、結局、半年間休職、、、



体調に気を配りつつ、家事と仕事の両立に苦労しながらも主治医の先生から挙児許可をもらえる日を心待ちに過ごしました。

ようやく、”赤ちゃんを望んでも良い”という状況になりました。
でも、なかなか妊娠できず、悩んでいた時に、医師の友人から産婦人科の受診を勧めてもらい、背中を押してもらいました。

不妊治療、、、他人事だと思ってた、、、

職場に言えば、離職を匂わされちゃうかも、、、言えない、、、
理解してもらえるかもしれないけど、なんとなく恥ずかしい、、、


職場には、相談はせずにシフトを工夫して治療に通いました。
仕事もお母さんも両方頑張りたいという気持ちで、スタートした通院。
お母さんになれる確証があるなら辞めてもいいけれど、お母さんにもなれなかったら全てを失ってしまうから辞めれないと、自分で自分を追い込んでたのかも、、、

しばらくの通院後、おかげさまで、息子を授かることができました。
妊娠期を腎臓内科にも診てもらい、無事に私はお母さんになれたのです。


でも、2人目の不妊治療は思い叶わず、息子はひとりっ子。
母に息子を預けて何回も、何年も通院したけれど、どれほど医学のチカラを借りてもうまくいかないこともある、、、
たくさんの時間もお金も使って、、、

なによりもココロすり減らした、、、


治療のやめどき、、、いつ?
いつまで続ける、、、?

あの時、友人に背中を押してもらえたから、、、
背中を押してもらった時に、一歩踏み出せたから、お母さんになれた、、、
ひとりでも授かったのだから、次で終わりにしよう、、、
やっと、自分の思いに区切り、、、納得、、、



男女雇用機会均等法や女性活躍推進法といった時代と私の人生がうまく絡み合って、私は責任者をさせていただいています。
昭和と言う時代に共働きをしてきた母が、共働きの苦労を充分わかった上で、私をアシストしてくれて、父や夫の理解と協力があり、ここまで歩んでこれました。
行政の制度やコミュニティのサポートもとても助かりました。
そうして、わたしは、時代の流れに乗って“働くお母さん“をしてきました。


人生は選択の連続です。

性別や年齢は関係ないとはいえ、やはり“性差はあるし、年齢も関係あることがある”と思うのです。

私は、私の経験をもとに、挙示希望だと言えて、子育てが出来て、キャリアの継続ができる職場づくりを目指しています。
法律や制度だけでは決してカバーのできない部分があると思います。
ちょっぴりおせっかいもやくかもしれないけれど、
”仕事も続けたい、結婚をして子供を持っても働きたい“と思う若手の女性が多い私の職場だからこそ、そのような環境作りが大切だと思うのです。
妊娠期、産育休、復職後の時短勤務の間をしっかりとカバーしてくれる支援者にも感謝です。


”私もお母さんみたいな働くお母さんになりたい“と、母に憧れて頑張ってきた私が任された役割ではないかと思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?