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「J-JUN FRIDAY PARTY 2024」に見せた歌手としての意地と覚悟

26日に開催された「J-JUN FRYDAY PARTY 2024」の昼夜の公演を拝見してきました。
19,20,21日の3日間のソウルでのバースデーファンミ開催後、1日の休息日を経て、23日に日本に戻り、24,25日のリハーサルの時間を取って準備をする予定だったファンミは、本人の発熱による体調不良ということから、予定内容を大幅に変更しての開催となったことは、周知の事実です。

実は、古くからのファンの方には記憶にあると思いますが、ジェジュンが「声が出ない」状態でもファンミを開催するのは、これが2度目です。
1度目は、2012年11月4日、インドネシア・ジャカルタで開催された彼個人のファンミの時にも、酷い風邪をひき、「声が出ない」状況にも関わらず、彼の強い希望でファンミを行ったことがありました。
この時は、今回よりももっと声が出ない状態だったようで、トークはテキストを通じてで、自筆の手紙や参加者全員にキャンデーのプレゼントや握手会、記念撮影などを行ったことがあります。
歌が全く歌えず、という状況の為、主催者は、中止も考えたようですが、今回と同じく本人のたっての希望で開催されています。
ですから、彼の性分として、自分都合による開催中止は絶対に行わない、という信念がある人とも言えるでしょう。

今回のファンミ開催からの内容、そして、そこから見えてくる彼の歌手としての心構えなどについて、記事にしました。
なお、この日、夜の部で歌った5曲に対する彼の思いや歌声についての所感は、別記事にして、明日、投稿予定です。


たとえ地を這ってでも開催する…

この日、昼、夜の2回公演が予定されていました。
この日は、彼の38回目の正真正銘のバースデーです。
除隊以降、コンスタントにバースデーファンミを韓国と日本で必ず行ってきた彼ですが、26日前後は、必ずと言っていいほど、日本にいることが多くなりました。それは、hydeさんをはじめとする彼の友人達がバースデーパーティーを開いてくれることが多いという理由からとも考えられます。
今回は、まさに26日のお誕生日当日にJAEFANSのバースデーファンミを開催するというスケジュールで、そこに対する彼の気持ちが感じられる日程だったと言えるかもしれません。
ですが、彼自身も話すように、昨年の独立以降、ほぼ休みがない状況の中、特に後半は、海外渡航の回数が目立って多くなっていました。
海外と言っても、今までのように日本でのツアー、アジア諸国でのツアー、というスケジュール管理ではなく、日本を含め、韓国、アジア諸国全般、どこの国へもランダムに移動する、という組み方です。
その為、日本からタイやマレーシアなど、そのまま海外諸国へ行く、また、韓国に戻ることなく直接日本に戻ってくる、というように、活動全般が、アジア全域を対象としたスケジューリングに変わっているのが、独立後の大きな特徴と言えます。
これは、歌手ジェジュンとしての活動がグローバルなものに転換していく準備段階と言えるかもしれません。
彼自身がどこまで計画的に意識的にそれを行っているかはわかりませんが、スケジュールの組み方を見ていると、「基本的に来た仕事は断らない」というスタンスが一貫して見て取れます。
昨年一年の活動形態、韓国での歌手としての復権、さらには、K-POP文化のグローバル的動向を考えると、今後、韓国のアーティストとしてグローバルな活動を視野に入れていくのは、彼の立場としては必然なのではないかと感じられます。
そういう意味からすると、今後、益々、スケジュール管理と体調管理、というものは、彼にとって、大きな課題になってくると考えられます。

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