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J-JUN 5年の日活から見えてくるアイドルからアーティストへの真の脱却への課題

今回の記事は、日本活動に復帰して丸5年が経ち、6年目に入ったジェジュンさんのこの5年間の活動の仕方から感じる日本活動へのスタンスと、そこから見えてくる今後の可能性を日本の音楽業界の現状や、私自身が多くのアーティストの軌跡を連載原稿を書く中で知り得た事実に鑑みて、日本でのアーティスト活動の難しさと韓国業界との根本的な考え方の違いなど、ファンとしての私見を交えた記事になりました。
アイドルから、アーティストへ真に脱却し成功することは、非常な困難さと覚悟が要求されます。ジェジュンさんの言動が何度もその2つの間を行ったり来たりしていることからも、非常に難しいことが伺えるでしょう。
なぜ、日本の業界が厳しいと言われるのかということの理由も多くのアーティストの活動スタンスから見えてくる活動の中に見ることが出来ます。

また、事務所からの独立というキーワードは、常に彼について回るキーワードですが、それを実行することの難しさや、実行した後の困難さについては、少し前にジャニーズを脱退し独立した手越祐也がインタビュー記事の中で答えています。
このキーワードについても、今回は、記事の中で掘り起こしていて、分量の多い記事になっていますので、本当にそれらの情報力に見合った対価を払って頂ける方だけに記事は提供します。
また、今後、私がファンとして感じる所感については、有料記事の中で配信させて頂きます。彼が不在中の記事は、最近、5人時代の東方神起の存在が韓国で見直されていることから、それに関する記事や、その時代の彼の歌声についての記事も配信して行く予定です。

コロナ禍の2年の空白期間が彼に与えたもの

昨年、コロナがやっと治まりかけた4月、ジェジュンは3年ぶりに日本に本格復帰しました。
コロナ禍の2年という時間は、彼の日本活動への出鼻を挫くのに十分すぎる時間だったかもしれません。
2018年に日本に復帰した後の2年間は、復帰ライブを行った後、2つの全国ツアーをこなし、シングルを3枚、カバーアルバム、オリジナルアルバムをそれぞれ1枚ずつと非常に順調な滑り出しを見せた日本活動と言えるでしょう。そこには彼自身の日本活動に対する積極的な意欲と同時に目標というものが大きく見える活動だったと言えます。
ですが、失言からの出演キャンセルや活動自粛は、その後の2年の日本活動が暗礁に乗り上げる予兆だったかもしれません。
誰もがすぐに治るであろうと感じていたコロナは、全世界的な流行と膨大な数の死者を出す歴史に残る世界的流行になりました。
ちょうど、2020年という時代の節目を迎えて世界中の人々を一斉に巻き込んだ流行は、暦学的にも「土の時代」から「風の時代」への転換期と重なり、多くの人の人生そのものに多大な影響を及ぼしたと言えます。
その中にあって、彼だけが影響を受けないはずもなく、韓国と日本という2つの国で活動をしたいという彼の要求に時代がまさにNOを突きつけたとも言える出来事だったかもしれません。
2年以上に亘る不在(単発的な露出は含まず、大きな流れとして見た時)は、彼が2018年に日本に復帰した時の決意そのものや、大きく描いていた夢や目標そのものを根底から打ち砕いてしまうのに十分な時間だったと言えるでしょう。

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