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満月の日の物語④ 「8月4日」

「満月の日の物語」は、
毎月、満月の日に投稿します。
1話読み切り、若しくは2〜3話読み切りの
満月に纏わるショートストーリーです。


満月の日の物語④

「8月4日」



ここは、「喫茶 五等星」

祖母からゆずり受けたこの小さな場所で、私たちが小さな店を開くことにしたのは、丁度1年前のことだ。
新卒で入った会社は35歳を過ぎた今も変わらず、安定はしているけど何か他にやりたいことがあるんじゃないか、自分にできることは他にもっとあるんじゃないか、ここは本当の居場所じゃないんじゃないか、そんなことをここ数年、ぐるぐるぐるぐる思い巡らせていた。
だから、祖母から連絡を受けた時、何かに呼び寄せられたように、私は夫と一緒に長年勤めていた会社をやめて祖母の住むこの町へ移住を決めた。


カランカランカラン

「いらっしゃいませ、こんにちは」

「こんにちは、みっこさん」

小さな店で、細々とだけど自分の好きなものを沢山詰め込んだ。
もう何にも我慢することはない。
私の決意をそっと後ろから押してくれたのはいつだって夫だった。

「てるさん、ホットコーヒー1つお願いします」

「かしこまりました」

地下にあるこの店は、地上とはまるで別世界のようで、茶色い土壁も洞窟のようで私は一目でこの場所が好きになった。
今まで集めてきたアンティークの小物たち、古い東欧のランプ、ラピスラズリやムーンストーンの美しい鉱石たち、そして天井からは、小さな小さな一灯電球を星のように並べて下げた。
暗がりの店内にポツポツとした光がとてもよく似合う。
てるさんの淹れる心までほぐれるコーヒーと、私の素朴なケーキ、少しずつだけど、私はここで新しい世界をつくっていた。

「お待たせ致しました。ホットコーヒーです」

「ありがとうございます」

自分の好きなことを一生懸命にしていると、段々とそのことに共感してくれる人も増えていった。
1年たった今もゆったりとした営業ではあるが、いつも来てくれる常連のお客様も少しずつ現れるようになった。

「川島さん、今日はお休みですか?」

「ええ、久しぶりにゆっくり休日をとれたものですから、五等星のコーヒーが飲みたくなりまして」

てるさんはカウンターの奥でにっこりと微笑む。

「いつも、お仕事忙しそうですもんね」

「丁度大きなプロジェクトが立て続けにあったもので、やっとひと段落というところです」

「そうですか、本当にいつもお疲れ様です。
どうぞゆっくりなさってくださいね」

「ありがとうございます。みっこさんもどうぞ無理のないよう」

川島さんはしばらくの間、コーヒーを飲みながら本を読んで、また来ますと言って帰っていった。

私たちは毎日地下にいるから、
地上のことを"上の世界"という。

「てるさん、上の世界はやっと梅雨が明けたって」

「ここは雨でも晴れでもいつも変わらないから、たまにわからなくなってしまうね」

「きっとすぐに夏がきて、気づいたらまた冬になってしまっているんだろうなぁ」

あの夏の日に、大好きな祖母が旅立ってからだろうか。
気持ちのよかった天気の良い日やお日様の光が、だんだん眩しくて心が苦しくなってしまった。
月の光はあんなにも落ち着くのに。

てるさんは、ずっと地下にいると気候や季節が感じられないからと言って、毎日少しの時間上の世界に行く。
私だけが、いつもここにいる。


「そういえば、今日は満月だね」

上の世界から戻ってきたてるさんが言った。

「そっか、満月……」

この店には、毎月必ず満月の日に来るお客様がいる。
茂雄さんという、70代くらいのおじいさんだ。
先月も、茂雄さんは満月の日に来た。

「いらっしゃいませ」

「茂雄さん、こんばんは」

「こんばんは、今日もいつものあるかな?」

「はい、ご用意いたしますね」

そう言って茂雄さんはいつものように、一番奥の席へ座った。

綺麗にアイロンを通したシャツに、茶色いチェックのパンツ、長年を共にしたであろう味わいのある革のサスペンダー、そして細身の茂雄さんに良く似合うツバのあるハット。
自分に似合うもの、そしてきっと好きなもの、しっかりと理解した上で身に纏う姿に、私はいつも憧れを抱いていた。
私も素敵なおばあさんになれるだろうか。
毎月、満月の日を自然と楽しみにしている理由は、きっと茂雄さんに会えるからだ。

茂雄さんは、いつも閉店1時間前に来る。
今日もきっとそのくらいに来るだろう。

だけど、今日は違った。


カランカランカラン

「いらっしゃいませ」

「こんばんは、まだ開いてますか?」

「はい、お好きなお席へどうぞ」

一番奥の席、
いつもの茂雄さんの特等席へ座ったのは、茂雄さんではなく、見たことのない青年だった。

「えっと…ホットコーヒーお願いします」

「かしこまりました」


「てるさん…」

「うん、茂雄さんではないけど、なんだか僕は見たことがあるような…」

「誰なんだろう…」

青年はぼうっと店内を見つめながら、じっと待っていた。

「お待たせいたしました」

「ありがとうございます」

カチャ…

「あ、カップ…」

「えっ?」

「いえ、ありがとうございます」

青年はそっと、コーヒーを飲んだ。

「……おいしい」

そう言って微笑んだ青年は、どこか茂雄さんに似ている気がした。

「すみません、失礼ですが、こちらははじめてでしょうか?あの、どこかでお会いしたことがあるような気がして…」

青年は私をじっと見つめた後、

「こちらに来るのははじめてです」と言った。

「そうですか、すみません急に、失礼致しました」

私がカウンターに戻ってきた後も青年はしばらくこっちを見ていたが、またゆっくりとコーヒーを飲み、そして紙に何かを書きはじめた。

「もうすぐ閉店だから、裏の片付けしてくるね」

てるさんはそう言って、バックヤードに入ってしまった。

店内にはいつも流している静かなピアノのBGMが今もゆっくりと流れている。
カウンターから見える青年の横顔に、どうにも胸が落ち着かない。
なんだかずっと昔から知っているような…
なんだろう…

食器棚には、いつも茂雄さんが来たときに出している茂雄さん用のコーヒカップが置いてある。
ある時、「このカップを使ってくれませんか」と茂雄さんが持ってきたのだった。
今日はどうして来なかったんだろうか。
体調でも悪くなったのか、でも連絡しようにも連絡先がわからない。
どこかのタイミングで聞いておいたらよかったなと、後悔しても今更遅い。

ひたすらに逡巡していると、いつのまにか青年は席を立ってレジの前に立っていた。

「閉店間際まですみません。コーヒーとても美味しかったです。ごちそうさまでした。」

そう言って、レジ台にそっと500円玉を置いた。

「ありがとうございます。500円丁度いただきますね」

青年はお財布を鞄にしまうと、少し緊張した面持ちで言った。

「あの……また来てもいいですか?」 

私はぱっと顔を上げて青年を見る。
一瞬、目が合った。

「もちろんです。
 いつでもお待ちしておりますね」

私はできうる限りの微笑みでそう返すと、

「ありがとうございます」

やんわりと笑って、青年は帰っていった。


奥の席を片付けるためお盆と布巾を持って行くと、カップの横に手紙が置いてあった。


"喫茶 五等星 様"


とても美しい字で封筒にこの店の名前が書かれている。
はっとして裏を見ると、下の方に小さく

"山崎 茂雄"

と書いてあった。


「………てるさん てるさん!!」

手紙を持って、てるさんの元へ駆け込む。

「さっきのお客様の机にこの手紙が……」

そう言って手渡すと、名前を見たてるさんもはっとした顔で私を見た。

「まさか……」


閉店作業を終えた店内で、私たちはあの席に座り、封を開けた。



" 喫茶 五等星 様

ご無沙汰しております。
みっこさん、てるさん、変わらずお元気でいらっしゃいますか?
私からの突然の手紙に大層驚かれたことと思います。
今月もこちらへ行ける日を楽しみにしていたのですが、どうにも難しくなってしまいました。
ですので、ずっとお二人にお話したかったことを手紙に記すことに致しました。
長くなりますが、お付き合いくだされば幸いです。

私はずっとある病気で入院生活をしていました。
月に一度だけ外出許可が降りると、私はいつもとびきりのお洒落をして五等星さんへコーヒーを飲みに行っていました。
五等星さんのコーヒーは、それはそれは美味しくて、飲めばこのまま病気も完治してしまうのではないかと思うくらい、心身共に健やかになるような不思議な力がありました。
毎月こちらでコーヒーをいただくことを楽しみに日々生きていたと言っても過言ではありません。
そのくらい、てるさんのコーヒーには大きな力があります。
そして、みっこさんとの他愛もないお喋りが心安らぐ時間となっていたこと、こんな年老いた私にも優しく微笑みかけてくださったこと、本当に心から嬉しかったです。
なかなか上の世界に出られない、と涙ながらに相談してくださったこともありましたね。
良い言葉を掛けてあげられたかどうか、みっこさんより何十年も生きてきた私でさえ、未だにわからないことが沢山あります。
だけど、これだけは覚えておいてください。
貴女が生きたいと思った世界が、貴女の生きる世界なんだということ。
上の世界もこのお店でも、本当は場所なんて関係なくて、大切なのは自分自身がありのままでいられることなんだと私は思います。
みっこさんがどう生きていきたいか考えてみてください。
そして、ご自分を大切に、支えてくれるてるさんを大切に、少しずつ歩んで行けたらいいですね。

そして、これをお二人にお話するのははじめてですね。
実は、五等星さんの前にこの場所で営んでいた「ムーン」という喫茶店を私はとても好きでした。
みっこさんのおばあさまが一人で切り盛りしていましたよね。
オープンしてすぐの頃から、コーヒーを飲みによく通わせてもらいました。
いつも屈託なく笑う彼女の姿が眩しくて、
私は彼女に恋をしていたのです。
ですが当時から仲睦まじい旦那様がいらっしゃって、もちろん私の気持ちを彼女に伝えることはしませんでした。
まだ若かった私も彼女もゆっくりと歳を取っていきましたが、私は自分の気持ちを隠し、今までと変わらずムーンへ通い続けました。

10年前、ご主人に先立たれてからは段々と元気がなくなってしまったようで、頻繁に、
「もう店を閉めようか」と漏らしていました。
「貴女のコーヒーがとても好きです」と、私の精一杯の気持ちを伝えると、彼女は少し困ったような表情で、「ありがとう」と言ってくれました。
それから程なくして、私は入院生活をすることになり、ムーンへ行けない日々が続きました。
やっとのことで外出許可が降りてムーンへ行くと、いつのまにか店は閉められていて、五等星という喫茶店になるという張り紙を見つけました。

もし、あの日が最後だったならば、私は彼女に想いを伝えたかった。
「コーヒが」ではなく、「貴女が」と。
本当はずっとずっとそう思っていたのかもしれません。彼女のために秘密にしていた気持ちは、結局伝えることができないまま終わってしまいました。
こんなことを今更書いてもどうすることもできませんが、きっと私にとっては最初で最後の恋だったんですね。

もう恐らく私は長くありません。
次の満月にはもう、空の上かもしれません。
これが最後ならば、今度こそ悔いのないように。随分と遅くなってしまいましたが、やっと気持ちを伝えることができました。
本当に、本当に、ありがとうございました。

きっと私が天へ召されても、
ずっとずっと貴女を想っています。

また、この場所で、貴女と、
そして五等星さんと逢えますように。

敬具

2020年8月4日 山崎 茂雄 "



てるさんは、ただただ黙って涙を流し、
私は年甲斐もなく、わんわんと大泣きした。




その後、茂雄さんの入院先の病院に電話をすると、つい先程21時ごろに旅立ったと聞かされた。時計を見る。

あの青年は、若かりし頃の茂雄さんだった。

きっと祖母に恋心を強く寄せていた時期が、あの姿の頃だったのだろう。


私は茂雄さんのカップの隣に手紙を置いた。
そういえば、祖母が生前に言っていた。
「私の店に一番長く通ってくれているお客様に、ムーンの絵が描かれたコーヒーカップを贈ったのよ」と。

青年はあの時、また来てもいいですか、と言っていた。
次に来るときは、このカップでコーヒーを出そう。



茂雄さんに。





fin.



最後までご覧頂きありがとうございました。
次回、9月2日の満月の夜にまた。

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