LEONIEとマイレオニーの旅14
ニューヨークからロサンゼルスへ
5月のロサンゼルスは、街路樹に紫色の花が咲き誇る一年でいちばん美しい季節。日本ではもちろんのこと、ほかのどんな土地でも見たことのないジャカランダの木に薄紫の花(カリフォルニア・ライラック)が咲き乱れる時期にロサンゼルスにやってきたのは幸運だった。
昔、みうらじゅんさんが歌った『カリフォルニアの青いバカ』の印象が強いせいかロサンゼルスはいつも抜けるような青空のもと、深くものを考えない人の蠢く味もそっけもない町との先入観を持っていたし、ハリウッド映画にも勝手な偏見があって、芸術的な映画をつくるなら断然ニューヨーク!と思い込んでいたけれど、その花の美しさを見た途端に「ここで映画をつくるのもいいかもしれない」と、一気に前向きな気持ちになった。
アメリカで映画をつくるにはさまざまな法的な手続きが必要で、『ユキエ』のときと同様、最初に雇わなくてはならないのが「信用のできる」エンターテイメント弁護士である。
そんな法的処理の問題は、ニューヨークのプロデューサーと袂を分つことになって最初に待っていたことで、彼らとどんな金銭的な処理をしてパートナー関係を終えるかや、ようやく最終稿までこぎつけたアメリカのシナリオライターデイビッド・ウイナーとの正式に契約を交わすなど、私にはすぐに始めなくてはならないいくつもの重要な作業が待っていた。
『ユキエ』の頃から馴染み深いビバリーヒルズのホテルから車で15分ほどのところに、センチュリー・シティというお洒落な街がある。その街の高層ビルのなかに、
紹介されたエンターテイメント・ロイヤー、ジョイス・ジュンさんの所属する法律事務所があった。
窓の外に20世紀フォックスのスタジオの広大な敷地が広がる映画製作のメッカは、会議室で自由に飲むことができるコーヒーや新鮮な果物まで用意されているなど、すべてがいかにもハリウッド的な風情で、昨日まで慣れ親しんだニューヨークとは別世界の感があった。
それまではアメリカ出張というと必ず隣りにいてくれたアシスタントのYさんもいなくなって、ジョイス・ジュンさんとはじめて会うその日からは英語が堪能でない私のために息子のYuukiが同行してくれることになった。
Yuukiは『ユキエ』のときにロンドンの大学を一年休学して、通訳を引き受けてくれた経験があるので、映画製作の過程をすべて知っている。それでこの時を機に、自分の音楽の仕事のスケジュールを調整して、プロデューサーとしてついてくれることになった。それが何より心強い。
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