稲木紫織のアート・コラムArts & Contemporary Vol.12
高橋アキさんの
ピアノリサイタルに誘われた
斬新で豊穣なる美の世界
世界的に活躍するピアニスト、高橋アキをご存じだろうか。東京藝術大学を卒業後同大学院を修了。大学院在学中に武満徹作品でデビュー。1975年から『サティ ピアノ全曲演奏会』を夫で音楽批評家の秋山邦晴の企画により開催し、日本のサティブームを牽引。1980年アメリカの実験音楽を代表する作曲家モートン・フェルドマンに招かれ、ニューヨーク州立大学バッファロー校のアーティスト・イン・レジデンスに。1984年カリフォルニア芸術大学客員教授を務める。2007年度芸術選奨文部科学大臣賞、2011年秋の紫綬褒章など数々の栄誉に輝くピアニストだ。
アキさんのリサイタルは、2017年から豊洲シビックセンターホールで開催されている。ステージ奥の壁のホリゾントが開くと、外の景色が見えるのが特徴で、今回もレインボーブリッジが遠くで光を放ち、近くでゆりかもめが青や赤のライトを点けて発着する、幻想的な夜景とともに演奏を楽しんだ。
豊洲シビックセンターホールで演奏する高橋アキさん
前半は、「いまやサティ、フェルドマンとともに私の大事なレパートリー」と、本
人がプログラムで書いているフランツ・シューベルトで占められ、後半は現代曲。
とはいえ、いつもの身体能力の限界に挑戦する超絶技巧というよりは、アキさんの
遊び心が伝わる洒脱な選曲で、彼女の豊穣な音楽性を味わった。
シューベルト(1797-1828)の《4つの即興曲 Op.142 D935》(1827)は、一音一音
の粒立ちが美しく、清流のような音色が心に沁み入る。変容していく展開が見事。
玉が転がるような瑞々しさ、決然としたフォルテの後から密やかに立ち上がるピアノピアニシモの繊細さ、コントラストの潔さがアキさんらしい。
シューベルトを演奏する高橋アキさん
「若い頃は、子供がおさらい会で弾くような曲だとバカにしていました。大学で
恩師のヴァシャヘーリ先生にやれと言われ、抵抗しながら弾いたけど、その頃はわかってなかった。よく演奏するようになった直接のきっかけは、60歳の時に手首を骨折し、いつまで弾けるかわからないから最後のソナタだけは好きだったので、弾けなくなる前にと思い一度リサイタルで弾いたら、評判が良くて驚きました。
私は常に、最先端の実験音楽を演奏してきたけれど、夫を亡くすなど、人生の哀感を知ると、寄り添ってくれる音楽の大切さがわかる。演奏すればするほど、シューベルトの深い美しさに心を打たれます」とアキさん。
ピーター・ガーランド(1952-)の《発光(疫病の年からのメモ)》(2020)は、アキさ
んの委嘱による世界初演。パンデミックを意識して作曲され、1楽章は「死者を数
えて」、2楽章「あわれみ」は、アメリカの著名な作曲家テリー・ライリーのために音楽的な挨拶(日本式のお辞儀で)を伴って書かれたそうだが、会場に来日中のライリーが来ており、アキさんが紹介して驚いた。3楽章「発光(見返り阿弥陀)」は京都の永観堂を訪れた際に強い印象を受けたという彼が、アキさんに捧げている。透明感のある、たゆたうような清らかな光に満ちた曲。
ピーター・ガーランドとアキさん
「人見知りでシャイな人ですが、ピーターは30年以上、私のために曲を捧げてくれていて、CDも数枚、アメリカで作っています。この曲は、コロナ禍の今、見返り阿弥陀が振り向いて救いに導く、光り輝くもの《RADIANCE(発光)》、辛い時だけど希望がある、というふうに解釈して演奏しました」
八村義夫(1938-85)の《インティメイト・ピーセス Op.11》(1974)は、作曲家の指
示で、エドガー・アラン・ポーの『鴉』を英語で朗読してかから演奏。アキさんが「荒々しい情念」と呼ぶドラマティックな曲。強烈さと繊細さが同居している。3曲から成り、第3曲は、気鋭のピアニスト佐藤祐介さんと連弾。ロマンティックで新鮮だった。
46歳で早世した八村を、「昔の無頼派のような人。私が芸大に入った年、まだ芸大にいて、食堂のキャッスルのだるまストーブを囲んでは語り合いました。すごい変人。私、変人が好きなの。まじめな人は嫌い。でも、変人とまじめな人の区分けも難しくて一言では語れない。純粋で真面目過ぎるからこそ変人扱いされるサティのような人もいるし。八村さんは何といっても愛すべき人柄で、周りの人たちから本当に愛されていた人。無頼派と一言だけでは簡単に言えません。
そういえば、ジェフスキーと話した時、『俺の周りは変なのばっかり』って言うから『普通なのは私だけね』って言ったら、『お前が一番変人だ』って(笑)。この曲は、佐藤祐介が連弾してくれてよかった。1分半の短い曲だから、誰にでも頼めるものではなくて」とアキさん。
ジェフスキー(1938-)はアメリカの作曲家である。
八村義夫とアキさん
佐藤祐介は1988年福島県生まれ。15歳でリサイタルデビュー。第10回現代音楽演奏コンクール「競楽Ⅹ」で優勝、第22回朝日現代音楽賞及び、聴衆賞受賞など受賞歴多数。バロックから現代まで幅広いレパートリーを持ち、これまで50曲以上の新曲初演に携わる、アキさんと同様、チャレンジャーだ。アキさんは審査員として彼と出会い、連弾コンサートなどで共演している。
ピアニストの佐藤祐介さん
バニータ・マーカス(1952-)の《角砂糖》は、フェルドマンに作曲を学んだ彼女がスランプに陥った時、ジョン・ケージに相談したら、「あなたの作曲家魂に砂糖をあげなさい」とアドバイスされたことに感謝して、ケージに捧げられている。CAGEを音名読み、つまりド・ラ・ソ・ミが点在する曲で、アキさんの輪郭が明晰なアーティキュレーシヨンが際立つ。
「バニーは1980年、私がバッファローに着いた日、フェルドマンはニューヨークに行っていなかったので、厳寒の中、ガールフレンドの彼女と先に会いました。それ以来の親友で、いつもモートンと三人でしょっちゅう会ってました。家に1か月近く滞在していたことも。この曲、ケージにアドバイスされた彼女は、砂糖と言われてまじめにピアノの傍に角砂糖を置いて、食べながら作曲したそうです」
バニータ・マーカスとアキさん
ジョン・ケージ(1912-92)の《スウィンギング》(1989)と、《果てしないタンゴ》(1984)は、ケージが敬愛するエリック・サティの作品《スポーツと気晴らし》から
2曲を、ケージ独自の不確定性によって演奏家が味付け。アキさんがピッチを付け
たという。ケージと彼女のコラボレーション。サティの旋律が見え隠れする。
「ケージは、生き方もサティの影響を受けていて、日常の中に芸術がある、芸術の中に日常がある、と言っていました。ただ、ケージならではの不確定性のものを作るのは、演奏家にとって簡単ではないです」とアキさん。
ジョン・ケージとアキさん
ヤニス・クセナキス(1922-92)の《ピアノのための6つの歌》(1951)は、クセナキス20代の作曲。もと建築家ならではの確率論的手法など、数学を駆使した超絶技巧曲しか知らなかったので、クセナキスで難解てない曲を初めて聴いた。ルーツであるギリシャの民謡に端を発する、歌えるメロディラインの美しいこと。
「クセナキスとの出会いは、大阪万博の鉄鋼館で彼の《ビビキ・ハナ・マ》が演奏される前年の1969年、制作のために彼が来日していたのですが、ディレクターの武満徹さんに頼まれて、学生上がりの私がヤニスを歌舞伎に連れて行きました。この曲は、最初期の《メタスタシス》以前の曲で、公表されなかったんですが、彼が亡くなる前年、フランスのビアニストが初演し、私が初録音しました」
ヤニス・クセナキスとアキさん
アンコールは、2020年武満徹(1930-96)生誕90年に因んで、谷川俊太郎作詞、武満徹作曲《死んだ男の残したものは》をピアノソロで、2曲目はサティの《ジュ・トゥ・ヴー》をニュアンスたっぷりに演奏。ヴァラエティに富んだ多彩な音色のパレットを、ふんわりした雰囲気で締めくくった。
11月25日、新しいアルバム『高橋アキ プレイズ エリック・サティ-4』が発売される。サティ演奏の第一人者であるアキさんが、イタリアの名手コスタンティーノ・カテーナを共演者に迎え、4手連弾6曲と、彼女がピアノ演奏とともに朗読する《子供の音楽集》《新・子供の音楽集》を収録。アキさんの豊潤でチャレンジングな美の世界に、ぜひ触れてみてほしい。
『高橋アキ プレイズ エリック・サティ-4』
高橋アキホームページ http://www.aki-takahashi.net/
稲木紫織/フリーランスライター。ジャーナリスト
桐朋学園大学音楽部卒業
音楽家、アーティストのインタビュー、アート評などを中心に活動
著書に「日本の貴婦人」(光文社)など
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鏡のなかの言葉(定期購読)
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