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映画をつくる 07 「監督は自分でしなさい」

「これからは、もっと女が映画を撮らなきゃ駄目だ!」

1996年4月。新藤監督が書き上げてくださったシナリオがついに届いた。
シナリオ作家協会の200字詰め原稿用紙に鉛筆で書かれた237枚。
今でも私の大切な宝物である。

繰り返しシナリオを読めば、各シーンごとに映画になったときのイメージが、頭に次々と浮かんだ。
さて、このシナリオで誰に監督をしてもらうべきか?
答えは明らかだ。過去に新藤監督の作品にはアメリカ移民のもとに嫁いだお姉さまが登場する自伝的映画『落葉樹』があった。きっと監督は、戦争花嫁を主人公のユキエにお姉さまの姿を重ねてシナリオを書かれたに違いない。
このシナリオの監督も新藤監督にお願いするのがいちばんだ。

2度目の面会は、私が近代映画協会に行って5階のオフィスの上、7階にある会議室で、また二人きりで向き合うことになった。
私が、数ヶ月をかけて書いてくださったシナリオのお礼と、プロデューサーとしてたいへん気に入っているとお伝えすると、監督は前にお会いしたときと同じ柔和な笑顔で「それはよかった」と、ひとこと言葉少なに言われたのだっだ。そして、 
「このシナリオをぜひ監督に撮っていただきたいんです。一緒にアメリカに行きまましょう!」とお願いすると、一瞬の沈黙のあとで答えられた。
「これは私の映画ではありませんよ」と。

「自分で映画にしたい企画を立てて、一人で3年もかかってお金を集めて、やっとあなたの映画ができることになったんですよ。もし私がこれを監督したら、あなたが思ったのと全然違う映画になるかもしれない。それに、誰にしても監督に粘られて、最後に赤字でも出されたらあなた、泣くに泣けないでしょう。これはあなたの映画です。監督は自分でするしかないですよ」

監督の言葉を聞いて、私は思わず答えていた。
「できるでしょうか?」と。
「できますよ。今の映画は、客は女のほうが多いのに、作ってる監督は男ばかりじゃないか。これからは、もっと女が撮らなきゃ駄目だ。女がつくった映画が世に出なきゃ駄目なんです。勇気を出して、監督をしてみなさい」と、父親が娘を叱りつけるような厳しい口調で、言われたのだった。

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