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映画をつくる 12 撮影の日々 ①

いくつもの幸運な出会いによって製作資金ができたものの、全編アメリカを舞台に
しかも今のデジタル収録と違うフィルム撮影の時代に一本の映画の完成まで2億円の予算は、けっして余裕のあるものではなかった。
そのようなローバ・ジェット(低予算)の作品は撮影日数を十分にとることはできず、9月25日のクランクインから11月14日のクランクアップまで、41日間ですべての撮影を終わらせなくてはならない、タイトなスケジュールだった。
日本の低予算映画なら41日は恵まれた日数と思われるかもしれないが、アメリカでは俳優もクルーたちも皆ユニオン(労働組合)に所属しているので、1日の撮影時間は食事の時間を入れて12時間と決まっていて、週に1日は必ず休日をとるという、厳しいルールが課せられていた。

ハグとクラフト・サービス

夏は特に湿度が高く、気温35度というルイジアナ特有の蒸し暑さのなか、9月25日は私たちの初日を祝うかのような晴天に恵まれて、無事クランクインの日を迎えることができた。
撮影の仕事の朝は早く、毎日7時には全員が現場に集合する。
「Good Morning!」「How are you?」
クルーたちが口々声をかけ合いながら、私のもとにやってきて「初日おめでとう」とハグしてくれる。欧米のハグしあう挨拶は、その後クランクアップまで毎日欠かすことなく重ねられたが、ハグの仕方だけでその人がどんなキャラクターか、今日はどんな精神状態かが一瞬でわかる。今ではコロナでできなくなったその挨拶法が、どれだけクルーたちとの距離を縮めてくれたことかと、思い出す度懐かしい。
また、アメリカの撮影現場には必ず「クラフト・サービス」という、クッキーやキャンディー、果物などが置かれたテーブルが用意されていて、クルーたちは撮影の合間、自由におやつを口にしながら仕事をするのも、ピンと張りつめた日本の現場との大きな違いだった。

最初の撮影場所は、リチャードがかつての戦友アンソニーに紹介された再就職先の航空博物館。

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以下の写真はファーストADのグレーテルが立てたスケジュールで、数日ごとに修正したものが紙の色を変えて配られる。

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クランクイン初日から見舞われた試練

そのクランクインの朝、私は、現場に全員が揃ったところで、初日の挨拶をした。勿論、私が発するすべての言葉は、通訳のYuukiの助けを借りなければならない。
Yuukiが現場入りしたとき、「自分の息子を通訳にするなんて。しかもまだ学生らしいぞ」との不安や反感を持つ人もいるかもしれないと心配したが、ロケハンの間にすっかり皆が彼を、監督の息子としてでなく一人の通訳として承認してくれている様子にホッとする。日本の現場ならそんな偏見もあったかもしれないが、ロンドンで学んだ彼のキングス・イングリッシュが、南部ルイジアナのクルーたちに受けたのと、我が子ながら人懐っこく、誰からも好かれるキャラクターだったのが幸いしたようだ。

「皆さんがご存知のように、私はこの映画ではじめて監督の仕事に挑戦します。そのため、至らないところや迷惑をかけることもあるかもしれませんが、皆さんの率直な意見を聞きながらいい映画を作りたいと思うので、どうかご協力をよろしくお願いします」
そんな挨拶が、映画監督の冒頭のとしてあまり相応しいものでなかったと気づくのは、ずっと後になってからのことだ。
大学を出てから30年近くの間、ずっと日本の男社会で「フリーランスの女」として自分の居場所を得てきた私には、そんなへりくだった物言いがしみついていたのだと思う。
しかし、究極のリーダーシップが求められる映画監督の仕事において、しかもアメリカでは、その謙虚さが「頼りなさ」や「自信のなさ」に映ったかもしれない。
実際その挨拶を聞いて彼らが何を思ったかはわからないが、そんな風に日本的な挨拶をして、初日の仕事はスタートしたのだった。

初めて監督をする私は、絵は苦手だったので絵コンテは書かず、撮影監督の阪本さんと相談しながらのカメラポジションとカット割りが固まると、記録のカズコがカット割りを文字と図で表わしてくれ、前日の夜までにクルーたちに渡された。そうした設計図が綿密に準備されているほど、すべての作業がスムーズに運ぶのだ。

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リチャード役のボー・スベンソンは、さすがにハリウッドで長年キャリアを積んだだけあって、表情だけの演技にも安定感があり堂々としている。

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