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思い出エッセイ02 絵と俳句と愛に生きたひと

死んだ後この世に何を遺したいかは、人それぞれであると思う。
私は、自分の写真、PCの中に書かれた文章、頂いた手紙類などの一切をできるだけ生きているうちに処分したいと思っているが、なかなかそれらを処分するタイミングが難しい。

最近、死んだらFacebookの投稿はどうなるのだろうか?と考えることがある。
自分の死後もFBのタイムラインに自分の投稿が残っていて、それらを読み続けられるのは嫌だ。命の終わりとともに、すべてを削除したい。
そう思って、最近Facebookの<追悼アカウント>に息子を指定した。
自分の個人情報の設定の中に、死後のFBアカウントの管理を誰かに任せることのできる<追悼アカウント>があるのを最近見つけて、死んだにそれを削除してもらいたいと息子に伝えたばかりである。

Facebookにアップされた作品で偲ぶ彼女

そう言いながら自分では、もう7年も前に亡くなった大事な友達のタイムラインを今もときどき開いては、彼女のことを偲んでいる。
その人はテキスタイル・デザイナーだった根津りえさんで、Facebookのタイムラインは彼女が生前描き続けたガラス絵の、さながら展覧会場である。

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私のように死んだ後に読まれたくない文章など何ひとつ書くことなく、すべての投稿を、世界中を旅した街を題材に書き溜めたガラス絵で統一したのは、りえさん自身がこの世を去る時期を知っていて、また彼女が天涯孤独の身だったからなのだろう。
自分が死んだ後も作品はこの世に遺したい、友達には私の絵をいつまでも愛してもらいたい。そんな気持ちは芸術に携わる人なら誰もが当たり前に持っているもので私も死後に遺したいのは、自分がつくった5本の映画だけである。

「宇宙旅行に旅立ちます」

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