稲木紫織のアートコラム・Arts & Contemporary Vol.33
世田谷美術館のエントランスに
そっと置かれた能の演目
『夢の解剖―猩々乱』
世田谷美術館のエントランス・ホールでは、美術とは異なる分野の様々なパフォーマンスが実施され、本館を設計した建築家・内井昭蔵の意図した「開かれた美術館」そのままに、空間的にもジャンル的にもオープンな姿勢を誇ってきた。昨年、コロナ禍で多くの美術館がクローズする中、展示室の窓を開け自然の風景を見せる展覧会『作品のない展示室』を無料公開し、多くの人々を感動させたが、その時も窓のない奥の展示室で開催されていたのが、「建築と自然とパフォーマンス」というコーナーだった。その展覧会を取材した昨夏のコラムを貼っておく。
世田谷美術館エントランス・ホール
ここで30数年間、実施されてきたパフォーミングアーツの歩みを見せるスライドショーや、まるで短編映画のような記録映像はあまりに素晴らしく、展覧会の陰に隠れていてはもったいないと実感したものだった。今秋、2005年以来、パフォーマンスを担当する学芸員の塚田美紀さんから、今回が最終回になるという、世田谷美術館パフォーマンスシリーズ「トランス/エントランス 特別篇」の『夢の解剖―猩々乱(しょうじょうみだれ)』をご案内いただき、ゲネプロを感慨深く拝見。
『猩々乱』撮影:今井智己 提供:世田谷美術館
『猩々』は能の演目で五番目物。海中に棲むという猩々が、酒を商う高風(こうふう)と出会い、海辺に酒持参で訪れた高風に喜び、舞い遊ぶというストーリーだ。五番目物は序破急の「急」にあたる能で、動物の精霊、天狗、山姥、獅子などがダイナミックに、テンポの速い舞と働(はたらき)を披露する。「乱」とは、ほろ酔いのシテ・猩々の舞う舞のこと。通常の『猩々』では、中ノ舞(ちゅうのまい)という、静かな舞と急調の舞との中間に位置する舞を舞うが、特殊演出で舞が乱になると、曲名も『猩々乱』となる。
『猩々乱』撮影:今井智己 提供:世田谷美術館
能舞台と化したエントランス・ホールには、松明に見立てた丸い灯りが7か所に設置。中央の階段踊り場に囃子方が、向かって左から、太鼓(林雄一郎)、大鼓(大倉慶乃助)、小鼓(大倉源次郎)、笛(藤田貴寛)と並ぶ。ワキの高風(森常好)が深緑に金の模様の能装束で登場し、「酒を商えば富み栄えることができる、という夢を見た」と語り始める。通常の能舞台より、はるかに天井の高い吹き抜けの空間に声の通ること、笛の音の響くこと、人間国宝・大倉源次郎の奏でる小鼓のコーンと抜ける音の心地よいこと。
大倉源次郎
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