They shall not grow old (彼らは生きていた)
“They shall not grow old”(彼らは生きていた)をみた。古市さんの「誰も戦争を教えられない」を思い出した。内容は似ていなかったが、映画の内容がそのタイトルを想起させた。戦争教育の重要さとその意味を少しわかったような気がした。こんな映像を撮ってくれた人たちに感謝。
ネタバレ
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最初は映像の中の映像みたいな感じで始まった。そこでは後世の歴史家たちの解説等がされていた気がする(寝たり起きたりしてたから定かではない)。そしてその中の映像が全画面で映し出されて、1914-1919当時の映像が流れ出した。主にナレーションが喋り、その裏で兵士・一般市民の声、銃声や砲撃の音が聞こえる、という感じだった。序盤はイギリス本土の兵士募集のポスターが何個も映し出された。よくあるプロパガンダポスターのような、陽気な兵士と共に問いかけや文言が描かれているポスターだ。普通に“We are wanting you"って書かれてたりとか、陽気な兵士と共に、“He’s happy & satisfied. Are you?“って書かれてたり。
そして第一次世界大戦名物、塹壕戦が紹介されるわけだけど、初めは塹壕の仕組みが説明されてた。第一線、第二線(支援線)、それらを繋ぐ塹壕線。アリの巣のように張り巡らされた塹壕の上空からの写真が映し出された。「やっと戦争の映像出てきたか、こういうのを期待してた。」ってこの時は思った。この時はまだ軽い気持ちで見てた。
(↓こんなの)
塹壕を守備する兵士たちは2時間監視して4時間休息を繰り返してた。4時間休息と言っても砲撃されてる中の休息だから殆ど疲れは取れない。監視中の最大の敵は睡魔で、立ちながら寝ることもしばしば。教科書に載ってるような“trench feet“(塹壕足)が紹介されてた。服に着いたシラミを火で炙って殺すのが楽しいとも言っていた。タマゴのぷちぷち破裂する音を聞くの楽しいって言ってた。それで炙りきれなかったタマゴが孵化してまたそれを炙って…の繰り返し。トイレ事情がやばかった。肥溜を掘って、そこに丸太を乗っけてそこに座ってケツ丸出しで排便してた。戦場には女性はいなかったからプライバシーはなかった。丸太が折れて肥溜めに落っこちた話もしてたw
「誰かが"クリスマスまでには帰れるさ"と言った。我々はそれをみて納得した」(うろ覚え)というセリフで戦車が紹介された。よっしゃソンムの戦いきた!って思った。でも戦車はあまり語られなかった。そこから戦車と共に突撃しようとする兵士の話になった。ここからもうやばかった。書きたくない。
捕虜となったドイツ軍兵士は従順で、死傷者を運ぶ手伝いを進んでやっていた。ドイツ語を話せるイギリス人や英語を話せるドイツ人が多かったから、仲良くやってた。バイエルン人やザクセン人はプロイセン人の事を嫌っていた。イギリス兵もプロイセン人とはあまり仲良くならなかった。
1919年11月11日午前11時、休戦。それまでずっと鳴っていた砲撃の音も、突然鳴り止んだ。皆安堵や喜びはしたものの、祝杯はあげなかった、というよりあげれなかった。ビールは1:9で薄められたものが配られたけどそれでも皆殺到した。
終盤、戦後の帰還兵が主に語られていたけど、それが同情を禁じ得ないようなものだった。映画の中で、同情してあげようと思っている時点で兵士の心情、また戦争を理解できていない、というセリフが出てきた。ぐうの音も出ない。ここを見て、「誰も戦争を教えられない」を思い出した。戦後何十年も経てばその戦争の悲惨さを忘れる。覚えてる人がいたとしても防ぐ手立てがない。ならばと被害をできるだけ減らそうと努力をしようとしても時代が変われば戦争の仕方も兵器も変わるから対処し難い。戦争はこんなに悲惨なんだよって言っても机上の空論だと思われる。そしてちょっとしたきっかけから戦争が始まる。そんなもんなんだろうなあ。
人が歴史から学べること、それは人は歴史から何も学べてないということだ。