頑張れという言葉の重さ
東日本大震災が起きてから、明日で7年経つ。多くの人たちの命日でもある。
震災のことを書いてみようかと思って書いては消してを何日か繰り返してるけど、ありきたりな言葉ばかりが並び、全然気持ちがまとまらない。
当たり前だけど、そんな簡単にまとめていいような出来事ではなかった。
毎年3月に入ると、思い出したかのように震災のことを毎日テレビで放送し始める。
昔は震災特集を見たり、話を聞いても泣くまでいくことはなかったのだけど、年々それを見聞きして、勝手に涙が出てくることが増えてきた。
歳を取って涙腺が緩んだのか、思い出したかのように時々当時の話をしてくれる身近な人たちを想像してしまうからなのか、なんだか泣けてくる。
部外者の私がそうなんだから、当事者たちはもっとそうなのかもしれない。
はっきり聞くことなんてできないから、本当のところはわからないけど。
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7年前に陸前高田を襲った大津波は町の大部分を飲み込み、大勢の人たちを海に引き込んだ。
人口の約1割が亡くなり、たくさんの人が家族や知り合いを津波で亡くしている。
震災直後、世界中の人たちが応援の気持ちでたくさんの声をあげていた。
でも、故郷や家を無くし、家族を亡くしてしまって絶望している人たちにとって、外からの「頑張ってください」という言葉はあまりにも無責任で酷な言葉になっていたんだと、それはあとからわかった。
あの頃はみんな、目の前の苦しい状況を飲み込むのも難しく、生きることに必死だった。
「東北の人たちは強い」と言われ、時間とともに震災を乗り越えた人たちばかりだと思っている人もいるかもしれないけど、みんながみんなそうではない。
苦しみながら当時のまま時間が止まったように感じる人。
目の前で津波に飲まれてしまった人を助けられず、心の中で悔いている人。
7年経って景色は少しずつ変わってきたけど、気持ちはそのまま変わらない人だっている。
当事者たちにとって区切りとか節目なんて言葉はない。
精一杯な人たちに、「頑張れ」なんて言われても苦しくなる。
頑張れという言葉をただ投げるより、ただ寄り添って近くにいるほうがよっぽど優しいのかもしれない。
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いつも寄り添ってくれている自然は、時々怖い顔を見せる。
自然の前では人は無力で、簡単に命を奪われてしまう。
自然の力は恐ろしいものだと、多くの人たちは本当に気付けているのだろうか。
多くの被災者は自分たちの経験をこれから起こるかもしれない災害に役立ててほしい、自分と同じような気持ちを味わってほしくないと思っている。
あのときどういう状況だったのか、何が必要だと言われていたのか。
明日の命日を迎えるこのタイミングで改めて考えて、充分すぎるほどたくさん備えてほしい。
同じことを繰り返さないために。
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