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落ち着いてきたことで生まれた余白と、すこしずつ見えてきたもの

2022年はしばらく書かない、写真を撮らないという日々。

2023年はすこしずつ写真を撮りはじめて。

2024年はもうすこし写真を撮って、すこしずつ文章を書いて。すこしずつ発信もしはじめた。

自らを振り返ると、
ここ2年くらいはなんというか、文章も写真も発信も、あんまりできていなかったなと思います。

「自ら声を出す」、「伝える」ということをしばらくおやすみしていたんだなと思うと多少は良いのだけど。

この時期は、私自身の暮らしのリズムが変わって、何かを書いたり写真を撮ったりする気持ちの余裕みたいなもの、時間の余白をきちんと取ることが難しくなってしまっていた。

そして、私にとってはあまり良いことではなかったけど、コロナ禍に入ってなんだか発信すること自体が怖くなってしまっていた感じもありました。

すこしずつ自らのリズムを整えて、いまある環境に適応しつつあるのがいま。



そして最近は、数年前にわかめの生産をはじめるにあたって辞めると考えた文章を書くこと、編集にまつわる仕事のことを考えていて。

わかめの生産管理と片付け時期にあたる11〜5月半ば頃を避けた時期であれば、できなくはないのではないかと考えるようになりました。

生産作業に集中するために完全に辞める、ということよりも、時期を分けて細く長く続けられる形を模索したほうがいいのではないか、と考えるように。

こう思えるのは、「生産」に関して少しだけど気持ちに余白があいてきたのかもなと感じています。

何かあれば誰かに相談することはあれども、人手が必要+なおかつ生き物と天候、生育に合わせてスピードが求められる作業以外は基本はひとりで作業を進めているので、基本余裕という余裕は全然ないけど。

早め早めに動いて、何かあれば相談してきたことで対処できたこともあって。

もう少し柔軟に変化させたり、いろんな人たちに相談していくことができたら、そういった時期に合わせた働き方もできたりするんじゃないかと思うようになれてきました。

そのときの状況や環境によって、やりたいことやできることは変化する。

ただ、私自身が「どうありたいのか・生きていたいのか」の軸が変わらずであるならば、内容や形の変化は良いのではないかな。

海の仕事は軸にしつつ、流れる水のように、その都度で変化に柔軟に適応して生きていられればいいのかもな。

ひとまず、そういうことを思ったりしたので、いまの気持ちを書いて残そうと思います。

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