![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33868475/rectangle_large_type_2_23a71f8ab0c5e7d8d7af11cddd3f0488.jpeg?width=1200)
『私の家政夫ナギサさん』に癒された
ここ数カ月はあまりテレビを見ていなかったんだけど、最近ドラマ『私の家政夫ナギサさん』にはまっていて、毎週楽しみに見ていた。昨日が最終回で、終わっちゃってさみしい。
主人公は製薬会社に勤める28歳のキャリアウーマン、メイ(多部未華子)。仕事はバリバリできるんだけど、家事はまるっきり苦手。ある日メイのマンションに、おじさん家政夫のナギサさん(大森南朋)がトライアルでやってくる。最初は戸惑っていたメイだったけど、スーパー家政夫ナギサさんは散らかった部屋をきれいに片付け、おいしい食事を作り、ときには仕事で悩むメイをはげましたり。二人は信頼を深め合い、やがて心の距離が縮まってゆき…というストーリー。
私個人としては、おじさん家政夫ナギサさんの母性に癒されたというよりは、「家事ができない女性にスポットライトを当ててくれて、ありがとう」という感謝の思いが強かった。これまでもキャリアウーマンが主人公のドラマはあったと思うけど、そこで彼女たちの日常生活はどういう風に描かれていただろう。なんとなく、都会的なマンションの、きちんと片付いている部屋に住んでいるイメージかな。お仕事ドラマだと、その辺りはきちんと描かれる必要がなかったのかもしれない。
仕事を持っていて、帰宅が深夜になることがあって、時には帰ってきてからも仕事して。部屋はモノであふれかえって、ぐちゃぐちゃ。毎日忙しくて余裕がなくて、料理なんかしている暇がなくて…。それはそのまま、教師だった私の母の姿だったし、私も繁忙期は似たような状態だった(私の散らかし方は母よりマシだったけど)。
最初の頃、主人公のメイが仕事も家事も一人で両方がんばろうと奮闘する姿を見て、あらためて「女の人は家事ができて当たり前」というイメージがあるんだなあ…と思って、見ていて本当に泣けてきた。でもやっぱりできなくて、それからできない自分を許して正式にナギサさんと雇用契約を結んだとき、私も本当に癒された。彼女が一人で頑張らずに人に頼るという選択をしたとき、それを見ていた私の中でも何かが書き換わった気がした。
見終わったあと、「お母さん、描いてもらってよかったね」と、心の中で亡き母に話しかけた。昔の私は家事ができない母を責めていたから。でもなんだか母を許すことができたし、母を責めていた自分自身も許すことができた。コメディなんだけどね、ドラマって不思議ね。
NHKの朝ドラは私も好きだけど、いつもうっすらと心が傷つくのは、どの作品でもヒロインの母親に「あるべき理想のお母さん」が表現されているから。朝ドラにもダメなお母さんが出てきたら、もっといいのにな。不器用で愛情表現が下手だったり、手料理が最悪のレベルだったり(笑)。『私の家政夫ナギサさん』に出てくるメイのお母さんも家事が苦手で、しかも演じるのが草刈民代というところもよかった(民代さん、バレエ一筋の人生で、実生活でも家事が苦手らしいので…)。
ドラマの世界ではほとんどいないことになっていた、家事のできない女の人。描かれること、表現されることで、その存在が見えてくる。それはダメな存在じゃなくて、普通のことなんだ。「ここにいるよ」「ここにいるよ」と、表現されるのを待っている存在が、他にもたくさんいるだろう。
今日の夕空。上空に広がる、秋の気配。