凪いだ海は怖い
友人と、岡山に旅行に行った時の事を思い出す。
なんてことはない、ただ造船所の見学ができるホテルに行きたかっただけなのだけれども、友人は快諾してくれた。働いている人の空間を休暇を使って見に行くという奇特な行為に付き合ってくれた友人には感謝するしかない。
ジーンズの色々をヨコメで見て、ホテルへと向かう。
ついでにアフタヌーンティーも体験する事にしていた。岡山は美味しい事に注力していた。後日、マスキングテープも当選したのは良い思い出だった。使う前に無くしたけれど。
シーサイドホテルとはわかりやすいコンセプトの良い名前で、本当にそのまま海が近くにあった。
キラキラと陽の光が水面に揺蕩うように輝いて、その水面を貫くように大小さまざまな船が遠目からはゆっくりとした動きで通り過ぎていく。
あれは何を運んでいるのだろうか。コンテナってセアカゴケグモがついてるって話題になるよね。あの変な形は漁船なのかなぁ。大きな船はそれだけで燃料代大変そう。
とりとめもない感想しか思い浮かばない。好きな船は目の前を通らない。
瀬戸内海から海を取ったら瀬戸内になって、せと”ない”かいがせと”うち”になってしまう事の違和感をいつも覚えている。海がないのに、ないじゃないんだってくだらない程度に。
そんな瀬戸内の海は本当に波がない。凪いだ海というのが正しい日本語の使い方なのだと思うほどに、波が立たない。
それがたまらなく怖い。
この感覚を誰かに伝えても「あ~」みたいななんとなくぼんやりと言っている意味は分かったけれど、理解できない。みたいな反応を返されてしまう。
太平洋のサーフィンなんかするような荒れた海を見て育ったからかもしれないが、凪いだ海は「何かが来る」感じがして怖いのだ。
津波かもしれないし、海坊主かもしれないし、もっと違う何かかもしれないし(赤い海でサイレンが鳴ったらヤバイかもしれないし、魚顔の男たちが出てきたらもっとヤバイかもしれない)、何故か怖いのだ。
綺麗な凪いだ海、その水面下に何が潜んでいるのかわからないのが怖い。