「ゲゲゲの女房」にブチ切れた話
再放送で視聴していた「ゲゲゲの女房」。
まあまあ楽しく観ていたんです、赤貧時代は。
前半は面白かったよ。
そこらへんの感想はちょい前に書きました。これ↓
ところが終盤の雲行きが怪しくなり、最後の2週でブチ切れてしまった。
怒ってるよ私は。
ひたすら父親に従い夫に従っていた布美枝が、ついに主人公としての面目躍如かと思いきや、長女の独立(教員就職、僻地への赴任)を限止しようと結婚相手をあてがって採用辞退させようと暴走する夫と父を止めることもせず、娘に向かって「お父ちゃんとケンカせんでよ」とオロオロする姿にめっちゃイラついたわ。
テレビに向かって
「おまえ、主人公の務めを果たせよ!」
「日和ってんじゃねえ!」
と、ちょっと本気で声を上げてしまった…
原作がどうとか、これは実話だからとか、そういうことを言っているのではありません。脚本とか演出とかの、「ドラマ」としてこの展開はどうなの?ということを言っています。
父親の言いなりで見合い結婚するしかなかった自分。
その自分の娘が、親に相談もなくひとりで進路を決め、難関試験を突破し、採用を勝ち取ったことをなぜ応援しないの?
なにかと影の薄い主人公だからこそ、ここで無条件に娘の味方役をやらせたほうがキャラが立つのに、なぜそうしないの??
ここは強い母親に成長するエピソードとして使うべきなのに、相変わらず流されるばかり。これがスタッフの描きたい「妻」であり「母」なの?エエエエ…
そしてその落とし所が「赴任先が自宅から通える小学校でよかった!とりあえず丸くおさまった!」ってどうよ?
あれですか、古の「女子は自宅通勤のみ」ってやつですか。
ここは八丈島の小学校に赴任させて両親の子離れエピソードにすればよかったのに。
そして最終週にも腹立ったな~。
朝ドラ伝統「父親は妻と娘と嫁と、とにかく女に囲まれてお世話されて(息子、なにやっとんの)惜しまれながら自宅で死ぬ」のはまあともかく。
父親が娘に「いい男と結婚できてよかったと思ったが、同時に『自分の娘』が『誰かの女房』になったのが寂しくもあった」って言うの、私は聞いた瞬間に「キモっっっ」と声が出たけど、一般的にはここ泣くとこなんですか?
え???
女はひとりの人間としては認められず、常に「誰かの娘」「誰かの女房」でなくちゃならない。
庇護者である「男」を持たない女は存在を認められない。
父親の選んだ相手と見合い結婚して、結婚後はひたすら夫のサポート、娘の自立を喜ぶことができず「波風たてないで」と娘を抑圧し、勝手に娘の見合い相手を探そうとする夫を止めることもできない。
時代背景を考えたらそんなもんでしょうけど、現実はどうあれドラマの中では娘に「お母ちゃんは親の言いなりで結婚したけど、もうそんな時代じゃない。あんたは自由に生きなさい」と言って欲しかったよ。
これが10数年前の朝ドラの主人公の立ち位置なのか…
きっと世のおっさん方には大ウケなんだろうと思うと、悲しくなってしまった。
主人公きょうだい全員「私たちみんな、お父ちゃんに無理矢理結婚させられたようなもんだったけど、今となってはみんな幸せになってよかったね!」とか言ってんのもグロテスクだな〜。
あんたらのお父さん、懲りもせず孫娘にまで勝手に見合い相手を探してたんやで…それも「ちょっといい話」として消化しちゃうの?
いやー、まさか「ゲゲゲの女房」でここまで白熱するとは思わなかった。
一緒に見ていた夫が怯えてますが、私がTVに向かって「ふざけんなー!!」とか怒鳴らなければ、彼にとってはなんてことない朝ドラだったんだろうな。
こんなにブチ切れてんの私だけ?
みなさんはどう思いました?