井上ひさし『本の運命』

 遊びのない服って、キュークツで着にくい。遊びのないブレーキって、危険。社会というか、世の中も、そうだと思うんです。
 井上ひさしさんが高校へ入ったとき、担任の先生に、「映画のほうへ進みたい。そのためには仙台に来る映画を全部見たい」と言ったら、その先生は、「まあやってみたらいいじゃないか。そのかわり学校には三分の二は必ず出てこいよ」。
 で、井上さんはそれを実践するわけだけれど、昼日中から高校生が映画を見てちゃ補導されることもある。調書をとられた井上さん、「学校に電話してください」と頼んで担任の先生を呼んでもらった。そしたら先生、「あ、そいつは映画を毎日見ることになっています」だって。すごい先生だね。また、それを許す時代でもあったんですね。
 子供の意思、能力、あるいは可能性を尊重してくれる大人って、素晴しい。そういえば、妹尾河童さんの『少年H』にも、そんな大人たちがたくさん登場しましたね。
 人生は乗っかるもんじゃない、探し求めるもの。井上さんも妹尾さんも七転八倒しながら人生を、自分を探したわけだし、また周りには、探し求める彼らを、ちょっと距離をあけてバックアップしてくれる素敵な大人がいたというわけです。
 今の子供たちは、二十四時間大人の管理下にあるようで、本当にかわいそうな気がします。スポ小だの部活だの、勉強以外の自分の時間、遊びの時間まで大人に指導され、管理される。子供には子供だけの世界があるはずなんだけど、なんで大人がついてまわるんだろ。
 自分じゃろくに運動もしないし、本も読まないし、勉強もしない大人が、偉そうに子供を指導? するのは、いいかげんにしたいものですね。
 さてさて、井上さんが十三万冊を寄贈してでき上がった川西町の「遅筆堂(ちひつどう)文庫」。この辺りは去年の春まではぼくの活動範囲内でしたから、行こうと思えば行けたはずなのに、まだ中に入ったことがありません。そのうち時間をつくってぜひ一度行って見たいですね。ぼくも本好きの端くれとして、赤鉛筆のたくさん引かれた本、井上さんの知の軌跡を、ぜひ拝んで見たいものです。(1997.6.10)

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