何もできなかった

 何も……しなかった。何も……できなかった。

沢木耕太郎『無名』

 作家・沢木耕太郎さんのご父君が、「お父さんがいたから」と父をいたわる沢木さんにたいして、死の直前に漏らした言葉だといいます。

 じつは、ぼくも今春、(義)父を看取るという経験をしました。沢木さんのような自宅介護はとうてい叶わず、病院でその死を見守るという結果になったのですが、最後の数週間は家族のほとんどが交代で一日中を付き添い、そうして父は、離れた土地で学校に通うぼくの長女の帰省を待っていたかのように、4月19日の午後、息を引き取りました。

 沢木さんの新刊『無名』(幻冬舎)は、丁寧に、本当に丁寧に綴られた、ついに一生を無名のままで終えた父親とその息子との、数ヶ月にわたる介護、いや、心の交流を記した記録です。一つ一つのエピソードが、ぼくにも痛い。

 死の一週間前、父は鼻から入れられていたストマックチューブを自分で抜いてしまった。それを見て、上の姉が強い口調で言ったのだという。

「そんなことをしちゃ、だめじゃない」
 すると、父が静かな口調で言った。
「もういいんだよ」

沢木耕太郎『無名』、231頁

 そう、義父もそうだった。

 ぼくが付き添っていたある日、父は「もういい」と言うなり、体にまとわりつく点滴やら何やらのチューブを手で引き抜こうとしたことがあった。ぼくは慌てて父の腕をつかみ「だめだよ」と言うと、父は澄んだ目でぼくをじっと見つめ、涙を流したのだ。

 頬を伝わる父の涙を傍らのティッシュでぬぐいながら、ぼくは何かを語りかけなければと思った。けれども、その言葉が見つからなかった。父もまたそれ以上、何も語ろうとはしなかったのだ──。(2003.10.17)

いいなと思ったら応援しよう!