少年Hの怒り

 『少年H』下巻は、まさにその当時を生身の体で「生きた」人間でなければ書けない緊張感に満ちていて、いつまでもぼくを解放してくれません。命の場……というか、人間が生きるということそのものを、直視させられるのです。
 ただでさえ、少年が大人になるとき、また学校の生徒が社会へ出るとき、人は理不尽な壁にぶつかり、戸惑うものです。まして敗戦前後ともなれば、受け皿の大人社会自体が混乱の真っただ中。少年の怒りを、まともに受け止める壁さえなかったのかもしれない。あるのは、得体のしれない、ヌエのような、まともに論じるにさえ値しないような知的退廃だったのでしょう。
 そんな中で、怒れる子供をしっかりと受け止めてくれたのは、やはりHの父親でした。

 Hは釜の蓋をつかんで、大きく振りあげ、父親に向かって投げつけた。分厚く重い釜は真直ぐ父親の顔に飛んでいった。なんと彼はそれを避けようとせず、表情も変えずただじっとHを見つめていた。蓋が父親の顔に当たり、跳ね返って板の間に落ちゴトンと大きな音をたてた。
 父親の額から血がすーっと流れ出るのが見えた。Hは狼狽した。
 なぜ避けてくれなかったのかと思った。避けられるはずだったのに、父親はあえて避けなかったのだ。Hはそれがショックだった。(下巻308頁)

 Hが本当に怒っていたのは、もちろん、狂気のような戦中も理性を失わなかった父親に対してではなく、責任を自分で受け止めようとしない世の大人たちに対してでした。しかし、大人たちは少年の怒りの意味をさえ理解できなかったに違いないのです。
 さて、この書については語るべきことがあまりに多すぎます。しかし、安易に語りたくもない。毎日、自分なりに生きていくなかで、Hの思い、Hの苦悩、Hの確信がぼくのそれと重なって感じられる瞬間がきっとある。たぶんそのとき、ぼくはHを理解したといえるのだし、この書がぼくのなかで本当に生きてくるのだと思います。(1997.5.31)

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