旅する巨人

 最近涙腺が緩くなってきたように感じます。年のせいでしょうか。
 テレビでいろいろな人たちの人生にふれた番組を見てはホロリとしたり、あるいは我が子がまだ小さなかわいい手で懸命にピアノを弾くその指先を見ているうちに、よくぞここまで成長したものだ……とつい目頭が熱くなってしまう。
 無傷ではいられない、過ちを犯さずには生きられないのが人間ですから、子供が不憫というか、ぼく自身が経験してきた苦しみや心の傷や過ちを、子供の人生に重ね合わせて先走って哀れんでしまうのです。
 さて、佐野真一さんの書かれた評伝、『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』を読んで思わず涙ぐんでしまったのが、宮本が次男を生後五十日で失ったというくだり。旅から旅を続ける宮本は子供の死を看取ることもできず、わが子を悼んで次のような文章を捧げるのです。

 私はこの子のためにこの子が生きて果たすであろうと思われる人間としての義務と愛情と誠実とを背負うて将来を生きていきたいと思う。その祝福されたる中に含まれていた近親たちの希望のたとえ一部でも私や子の母によって実現したいものであると思う。

佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』、文藝春秋

 長女の恵子さんは、こう述懐したそうです。「父でなければ尊敬できる人でした」。
 子は父にたいして、何よりもまず父であることを望むのでしょう。誰だってそうです。しかし宮本が後世に語り継がれるのは、疑いもなく、家族の安寧を犠牲にして歩き続けた七十三年、十六万キロにもおよぶという彼の旅から生まれた、『忘れられた日本人』(岩波文庫)に代表される膨大な著作によってなのです。
 ぼくは宮本常一から、今まで日本の伝統と思いこんできた(思わされてきた?)ものとは違う日本人の本当の姿、日本の庶民の暮らしの豊かな相貌そして可能性を学びました。もし宮本の著作と出会わなかったら、ぼくは日本の文化と伝統に大きな誤解を抱いたまま、それを唾棄するかあるいは盲目的に信奉するしかなかったでしょう。
 彼のお子さんたちや奥さんには本当に申し訳ないけれど、宮本常一はぼくたちみんなのために生き、そして死んでいったのです。(1997.12.12)

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