たそがれ清兵衛
山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』を見ました。
大好きな作家の作品を原作にした映画やテレビドラマを見るのって、じつはとっても不安。自分のイメージと食い違った時のダメージが大きいし、そして多くの場合、その不安は適中するのです。とくにスター俳優を起用した場合がひどい。
ところがさすがは山田監督。『たそがれ清兵衛』のキャスティングは、実に見事でしたね。「ビックリ」は田中泯さんでしょうか。何し負う舞踏家だから、なめるような「動き」は藤沢作品によく登場する妖剣使いのそれに、ピッタリはまっています。不思議に気品もあって、グロテスクじゃない。そもそも藤沢作品には単純な悪役なんて登場しませんからね。世の矛盾、自らの不遇を呪いつつ娘の遺骨を食む敵役を、田中さんはよく体現していたと思います。
山田作品のヒーロー・ヒロインを演じるのが、真田広之と宮沢りえ。これがまたうっとりするほど良い。二人とも藤沢周平の世界からそのまま抜け出てきたようで、彼らが清兵衛と朋江でなく牧文四郎とふくであったとしても、何の違和感もありません。それにしてもりえちゃん、いつの間にこんなに成長したの?
映画は、「序破急、ゆったりとした流れが決闘シーンで爆発する映画的リズムは、山田作品中でも群を抜く鮮やかさ」(吉村英夫)。巧い。そして心地よい。どこか『幸せの黄色いハンカチ』を思い起こさせる作品だ(『幸せ……』に「爆発」はないけれど)。
そしてクライマックスシーンの直前。ほとんどすべての観客の胸を熱くしたのは、決闘の場に清兵衛を送り出した朋江が、もうろくした清兵衛の母から「誰?」と聞かれ、「はい、私は清兵衛様の幼なじみの朋江でがんす」と涙ながらに答える、あの場面だったでしょう。朋江が言いたかった言葉、けれども言えなかった言葉……。ぼくの涙腺も破裂寸前でしたよ。家族連れだったから堪えたけれど、一人だったら泣いてました。
でね。いつまでも消えないぼくの幸福感がどこから来ているのかをつらつら考えてみるに、これは、藤沢周平ファンなら誰でも思い焦がれている海坂藩。その町、その人々、その山河を、ついにこの眼で見た! という満足感、充足感なんだね。残雪に輝く雄大にして美しい山・月山に抱かれた城下町・海坂を、この眼で見た、という。
さぁて、今度は一人で、もういちど『たそがれ清兵衛』を見にいこう。遠慮なく涙を流すために。たっぷりと大きなハンカチを握りしめて。(2002.11.04)