日本人の美意識は……
日本人の美意識というと、ぼくたちはすぐに「わび」とか「さび」、あるいは「あはれ」などを思い浮かべます。『源氏物語絵巻』なんぞを例に持ち出されたりすると、なるほどと納得したりして。でも、本当にそうなのかな……とつい疑問を抱いてしまうのは、ぼくたちの普段の生活で、わびとかさびを実感する時がほとんどないからです。
ぼくたちの周囲はいつも喧噪だらけ。家の中ではテレビが一日中大きな音を立て、外に出ればこれもまた騒音の渦。音だけじゃない。色だって氾濫してますよね。調和なんて関係ない、自分だけが目立てばいいって感じで。海辺から山の中までそうなんですから。
これは退廃でしょうか? 日本人のうるわしい伝統的な美意識が、呪うべき近代化によって狂わされたせいでしょうか。あるいはそうかもしれないけれど、ぼくはむしろ、もともとそうだったんだ……と考えるほうが、自然なような気がしているのです。
理路整然よりアモルフな(定まらない)方が日本らしい。枯れがれとしているより飾って華やかな方が若々しくていい。小数貴族はいざ知らず、日本人の大多数を占める一般庶民は、風流ってナニ? ってなもんで、昔から面白可笑しく、そしてバイタリティーに溢れて暮らしていたんだ。そんなふうには、考えられませんか?
長い歴史の中にはいろいろあるんですよ。いろんな人がいて、いろんな所に行って、いろんなことを言い、いろんな物を残している。だから、ある一つのキーワードを持ち出してその裏づけをとろうと思えば、そのキーワードが「わび」であれ「さび」であれ、あるいは「をかし」であれ、たいがいのモノは見つかってしまう。
というわけで、自分に都合の良いものだけを取り上げて「これが日本の文化だ」と喧伝するのには、あまり積極的な意味はないような気がするのです。ただ、いろんなキーワードのうち、なぜ「わび・さび」や「もののあはれ」だけが特別な地位を占めるようになったのかと言うことは問題ですね。じっくり考えてみなくっちゃ。(1998.3.25)