World IA Day 2018 Tokyo に行ってきた(前編)
日本時間の2018/2/24(土) に開催された World IA Day 2018 Tokyo に参加してきました。ので、そこで感じたこと考えたことをnoteにまとめてみようと思います。
そもそも World IA Day とは...
世界同日開催のIA(Information Architecture: 情報アーキテクチャ)に関するお祭りのようなものらしいです。初参加だったので緊張していたのですが、そこまで固いものでもなさそうでホッと安心...。
2018のテーマは「IAの倫理と哲学」でした。
エシカルファッションとかエシカルコーヒーとか、最近よく耳にしますね。さしずめエシカルIAといったところでしょうか。
パネラーは以下の皆さん。前編は、チェルシー・ホステター氏と棚橋 弘季氏の内容と所感についてつらつら書いています。
- 小さなデザインがもたらす大きな影響:LGBTQのためのデザイン
チェルシー・ホステター氏(株式会社グッドパッチ シニアUXデザイナー)
- 曖昧さと不確実性
棚橋 弘季氏(株式会社ロフトワーク 執行役員兼イノベーションメーカー)
- デザインの基礎を掴む
古賀徹氏(九州大学芸術工学研究院 教授)
- 特別講演:The Age of Good Design
ルチアーノ・フロリディ氏(Professor of Philosophy and Ethics of Information, University of Oxford; Director of Digital Ethics Lab, Oxford Internet Institute)
当日の様子はYoutubeで見られます。twitter アカウントは @WIAD_Tokyo。twitterハッシュタグは #WIADTYO #WIAD18 です。
※個人的に気になったキーワードに関する所感や備忘が主なnoteですので、内容を詳細に知りたい方は↑を見るのをお勧めしまっする。では、いってみよ〜!
# 小さなデザインがもたらす大きな影響:LGBTQのためのデザイン
- 些細な思い込みがJGBTQに生きづらさを与えている。
- 仮定にLGBTQが含まれていない。
- Edge Case(例外)に追いやられるのはマイノリティ。
ラジオボタン、ドロップダウンでの二者択一の性別選択。ONとOFFの二択は人間的ではない。
## Facebookの Real Name Policy
- 人の本名はたった1つ、という仮定は危険。
- 本名を明かすことによる弊害なんてありません??本当に??
LGBTQであることがバレると、今までの生活を失う危険にさらされる人々は存在する。
人間とソフトウェアのプライバシーのコンセプトには、まだギャップがある。
- genderではなく個人の好みを
- ユーザーが自分で選んだ名前を
- ユーザーの目的とプライバシーを尊重する
所感:
まだまだコンピュータが本当に単純な処理(それこそ2択とか)しかできなかった時代、処理能力的に難しかった時代は確かにあったんじゃないかなぁと思う(そしてきっとその頃は、社会の方でもダイバーシティやLGBTQという概念は成熟していなかったんじゃなかろうか)。
現在は処理できるデータ量も桁違いなので、選択肢を増やすとか、もっと繊細なプライバシーセキュリティのアルゴリズムを開発することとか、技術的には全然可能だと思うのじゃよ。
社会の倫理観が変わるスピードより、テクノロジーの進化のスピードの方が速いもの。圧倒的に。
ただ何かを開発するときには、予算・期間・人員が限られていて、すべてが実現できるわけではないし、仕組みの穴をつかれて悪用されることもあってはならない(少なくとも予見できることについては)。
なすべきこと、守るべきものには優先順位がつけられ、そのときにEdge Caseに追いやられるのはマイノリティである事実は否定できない。
ただそれも「リリースさせること」を目標とした、言ってしまえば短期的な目線から起こるジレンマなのかもしれないな、と思った。
「このサービス・プロダクトは社会にとってどうあるべきか?」という問いを立てること、みんなをひとつ高い視座に引き上げてあげることって、エシカルを実現するために必要なことだなと思った。
「コミットが強いと全体が見えなくなる。」とは某渋谷ではたらく社長もおっしゃられている。マジそれな。
エンジニアは、サービスを開発して安全にリリースさせることにも、そのサービスが社会に及ぼす影響にも、どちらにも責任を負っている。
そして、ちゃんと責任を負わせて欲しい。
だから、もっとちゃんと話そうよって思う。
少なくとも誰かを不幸にしたくてエンジニアやってるわけではないのだ。そこは信じて欲しいし、信じてもらえる自分でありたい。
そんなことを思いました。
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# 曖昧さと不確実性
ロフトワークは Vreative agency for Explorers (冒険するクリエイティブ・エージェンシー)。色んな企業と共創している。
## 前提として、情報はそもそも曖昧で不確実なものである
常識だと思っていたものが大きく変化する時代
- Holzmarkt (ネオヒッピーによる循環する社会と経済)
- Locomore(クラウドファンディングで鉄道できた)
- モバイル決済 → 信用情報 → 無人コンビニ
どうデザインするか?何をデザインするか?以上に、「何故デザインをするのか?」が問われている
- 視覚を中心にデザインしてきた。人間は視覚偏重。
- 視覚だけが図と地を分ける。境目をはっきりさせる。
- 視覚だけが曖昧さを許さないところがあるのではないか。
## HAPTIC DESIGN PROJECT (触覚のVR)
- 今ここにないものを振動などで再現させる、どう伝えるかをデザインする。
- 触覚に図と地の切れ目はない。
- 曖昧さ、不確実性に対して感度を上げていかなければいかない。
## 「design」という言葉
- 1593年にOxford English Dictionary に初めて現れる
- 「絵」の用法では1638年
- designo interno(1607年)
## 中世人のスタンス
- デザインという観念は存在しない
- 世界は神が作ったものだから、「良くしよう」という概念は存在しない
## ルネッサンス
- 見たままを描きましょう、という姿勢
- 遠近法
- グーテンベルクの銀河系(マーシャル・マクルーハン)
- カメラ・オブスキュラ(ダヴィンチ)
## 自然と人工は対立するものでなく、もつれあった存在
- ニトロソモナス・ユーロピアを使ったAO Biome社のプロダクト
- Neri Oxmanの、中に微生物を入れるガラスの建造物プロジェクト
人工(単一機能)と、自然(複数機能)をつなげていく。その時に、曖昧さや不確実性を考えていく必要がある。
所感:
- デカルトの「方法序説」
- カメラ・オブスキュラ
- 生理学の誕生
- アナモルフォーシス etc.
めちゃくちゃ色んな話出てきた...。
『あえて"ノイズ"を含んだ内容にした。』とはご本人の弁。いやめちゃくちゃ面白かったんですが、いかんせん記事にまとめづらかったので途中だいぶ端折っています。Youtube見ることをお勧めします。
キーワードとしては「共創」「ノイズ」という感じ。そしてなんとなく自己矛盾について考えた。
自分自身については、
- 自分の曖昧さ
- 自分は矛盾することもある
- 自分という人間は揺れ動く存在である
とか、
「自分なんて変わるに決まってんじゃん人間だもん。」
ていうことを受け入れられてはいるのだけど、
ところがどっこいビジネスにおいてはそれはまかり通らない場合も往往にしてあるわけじゃないですか。
しかし「ノイズから生まれるものが何か。」が分かってしまってはそれはもはやノイズではなく...。
外からノイズを与えて共創していくって、めちゃくちゃタフなお仕事されてるな〜と思いました。
まっことイノベーティブであることよ…。
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とりあえず前編これにて終了です。
7時間に渡るカンファレンスで、かつ中身がめちゃ濃かったのでまとめるのも一苦労。ふぃ〜(´ω`; )
中編後編は以下のように予定しています。
- 中編:古賀徹氏のセッションと、スピーカーの皆さんのパネルディスカッション
- 後編:ルチアーノ・フロリディ氏の特別講演と、まとめ的な何か
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