久しぶりにうんこ漏らしたので過去の漏らしを振り返る

トイレ間に合うように必死こいて体拭いて 便座にたどり着くまで何度もケツ締めて、本日 6月6日 28歳にして久々に うんこ漏らしました

はい、どうも。上述の通り、今日さきほど、20年ぶりくらいにうんこ漏らしました。しかも家に居ながらにして。なぜ悲劇は起こったのか。過去の漏らし事案とともに検証し、再発防止に努めます。いわゆる、うんこ知新というやつだ。

●今回のケース
経過:シャワーを浴びているときに突然催し、うんこを我慢するときにいつもやっているロカビリー調の左右ステップをすると便意一服。
油断してたらまた催し、大急ぎで風呂場から出る。びしょ濡れのままトイレに駆け込む考えもあったが、濡れたまま家の中を歩きたくないという色気が出たのが悪かった。

洗面所のドアノブに手をかけた瞬間、便意が牙を剥いた。洗面所からトイレまで直線4〜5メートルほど。この直線は何とか走り切ったが、トイレの把手に手をかけた瞬間、便意の波状攻撃。引き戸を開けるまでは何とか耐えたが、便器が目に入った瞬間に、肛門が油断で緩んだか。

当たり一面に哀しいブピ音が響き渡る。こういうとき、経験上ケツを締めて便座の直上へ急げば、何とか漏らさず便座に噴射できるはず。今回もその経験を生かし、ケツを一生懸命に締め、ケツを締めて便座の直上へ。ケツを降下させながら便座に噴射。極限まで我慢した糞の噴射ほど気持ちの良いものはない。

ああ、何とか今回もギリギリで耐えた。そう思って左を見やると、床には無残にも下痢便が落下していた。

常々、便意はトイレ(家)までの距離に反比例すると考えており、今回もその方程式に違わぬ結果となった。

反省:本日すでに2回うんこをしており、肛門がかなり傷んでおり、もはや耐えられるコンディションではなかった。にもかかわらず、なおざりなステップで便意を無理やり収めただけで満足したのが悪かった。廊下を水浸しにしてでもトイレに急ぐべきだった。

●過去のケース(1)
過去、自分がうんこを漏らしたのは記憶の限りでは2回ある。1回目は、小学校低学年だ。
もはや詳しく覚えていないのだが、帰り道、家までもう5分ほどのところで漏らした記憶がある。漏らしたあとしゃがむと、モリモリッ、あるいはメリメリッという嫌な感覚がパンツの中に充満した不快感が思い出深い。

断片的な記憶にはなるが、そのとき穿いていたのは正面ポジションにフシギダネのプリントがある白ブリーフ。その白ブリーフがおじゃんになった悲しさもよく覚えている。帰宅するとなぜかそのときは母方の叔母がおり、始末してもらった記憶。たまたま居合わせたタイミングで甥っ子が糞を漏らして帰ってくるとはとんだ不幸な人だと思う。悪いことをした。

反省:通学路が片道20分超という長距離なところに住んでたのが悪い。

●過去のケース(2)
多分、もう一回漏らしてる。ただ、この記憶はもしかしたら幻覚かもしれない。

それは、小4〜5くらい。
5時間目あたりで、授業中に漏らした。
当時の席は教室の一番後ろで、授業中にトイレへいく余裕がなく、着席ながらに漏らした。しかもおしっこも思いっきりした。「幻覚かもしれない」と申したのはこの点で、教室でしょんべん垂れ流しといて何ともなかったってのはおかしくないか。特にその後うんこマンとか尿マンといった形でいじめられた記憶はなく、おかしく思うのだ。

でもそのあとうんこちびった状態で体育の授業受けた記憶とかあるんだよなあ。

反省:トイレに行くのがダサいみたいな風潮が悪い。いまだにうんこちんこで笑えるのに、なぜ小学生はうんこに行くのを恥ずかしがるのか。全く困った風潮だ。

●番外編
これは漏らした、というのではなく野糞である。いや野糞ではない。人里でした糞なので、都糞である。いや、野外でするのが野糞か。なら野糞だ。

祖父が入院している病院に行ったとき。俺は車の中で親が戻ってくるのを待っており、その際に便意に襲われ、仕方なく駐車場でうんこをした。それも雨の中。

なぜ、病院まで行ってうんこしなかったのか。車の中にもう片方の親はいなかったのか。お尻はどう拭いたのか。排出したうんこはどうなったのか。全てが謎なのでいまだに本当にあったことなのか自信がない。ただ、雨のじめじめした外気の中でうんこをしたという感触はあるんだよなあ。

以上、うんこ知新のコーナーでした。スタジオにお返しします。

(文責:ぺてん師)

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