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描いていた夢は大したことない

中高生の頃からずっと行きたかった場所にとうとう来た。

ら別に大したことなかった。
どこに行っても地球上であること、自分が自分であることは変わらなかった。

有名な場所であるほど幼い頃から知る機会があり、有名であるほど情報が豊富に流通している。その時間と情報量によって無意識に予想や期待が膨らんでいくんだと思う。そして不思議なことに予想通りであること=期待外れのように自分の中でカウントされたりする。
反対に直前まで全く行く気の無かった国に突然行った時の方が面白かったり感動したりすることが頻繁に起きる。

国や場所に優劣なんて無い中で、自分にとってどんな思い出としてレコーディングされるかは自分が持っていた期待値にとても左右されることが分かった。

ちなみに予想通りであることは私にとって決してマイナスなことではなく、なにか安堵のように感じられて、それはそれで旅の中では大切なものになっている。(ずっとスリルや面白みの連続だと身が持たない)

メキシコ、トルコ、イタリアと来てそれぞれの地での"働く"に対する意識というか、仕事のスタイルの違いをすごく感じた。

完全に私の主観だけど、メキシコは真面目に平均点のお仕事をこなしている感じ。ゆる過ぎることも張り切り過ぎることもない。休日は一気に切り替えて友達や家族との時間をパーティのように過ごしていた。ささやかなプライベートを楽しめる分だけ稼ごうという感じがした。
トルコは張り切って稼ぐか、とっっても気怠そうにとりあえず業務をこなすかの二択。歩合制のお仕事の人はここぞとばかりに稼げるところに差し込んでくるけど、時給とか固定給ぽい人は本当にやる気がない。もはや面白くなってしまうほど態度は悪かった。
そしてイタリアはご機嫌。常連さんにもにこやかに、初めての客にもにこやかに、通りがかった知り合いにもにこやかに。やるべき事は陽気にテンポ良く、知り合いがいたらちょっと立ち話したり。どんな場面でも友達と過ごしてるように楽しそうで、見てるこっちが良い気分になる姿だった。

どれが良い悪いとかじゃなく、働き方や仕事に対する意識感覚も文化なんだなと思った。

そして海外でジョークにもされてるらしい日本の働き方にも文化の要素がある。私は日本の働き方のどの部分を大切にしたくてどの部分を変えたいかなって、ちょっと考えさせられた。

旅で出会う人の中に「この国いいらしいですよ、行ってみたらどうですか?」みたいなことを言われる時があるけど、私は正直この類のおススメは気持ち良くない。

本人が経験したことを「やってみて良かったよ!行ってみて楽しかったよ!」と教えてくれるのと、未経験のものを「良いんじゃない?」と伝聞をもとに提案してくるのは全然違う。

前者は自責、後者は他責。
前者は主語が I 、後者は主語がYou。

自分の興味や夢を他人に託してくるのってめんどくさい。自分の夢は自分で叶えてください。

描いていた夢は大したことないから。

叶えたからといってすごい自信になったりするものでもないと思う。
だけど叶える過程や叶えて感じたものが心の栄養となり、肥やしになり、豊かにする。

日々ご飯を食べて身体に栄養を巡らして生きるように、やりたいことをやって自分の身で経験して、心に栄養を巡らしていきたい。

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Mana
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