誕生日にもらって嬉しかったのは
40半ばにもなると誕生日は少し憂鬱だ。取りたくない歳をまた一つ取ってしまった、という無念さの方が強い。ただ特別な日であることは間違いない。いつもの1日とは違う、自分のための日。いつもより丁寧に、大事にその1日を過ごそうとする。
今年の誕生日は不穏なスタートを切った。まず朝一番、夫が内緒でハーゲンダッツのアイスクリームケーキをオーダーしていたと知り激怒する。別にハーゲンダッツがまずい訳ではない。よく1ドル前後で売られている小さなカップのハーゲンダッツを食べたりする。特に日本で売られているフレーバーはアメリカに無いものが多く、日本滞在中はつい色々な種類を買ってしまう。でもアメリカ、特にニューヨークではクラフトビールならぬクラフトアイスクリーム、より洗練された味の濃いアイスクリームを作り出す小さなアイスクリーム屋が続出している。「Van Leeuwen」、「OddFellows」、「Ample Hills Creamary」その他多数。まさにアイスクリームの戦国時代なのだ。よって昔からある大量生産系のハーゲンダッツは舌の肥えたニューヨーカー達には敬遠されがちである。
またアイスクリームケーキというのは基本子供の誕生日ケーキによく使われるケーキだ。しかも暑い夏の日が多い。肌寒いこの時期、40代大人の誕生日ケーキとして出されることは滅多にない。しかも夫は去年の誕生日も同じアイスクリームケーキをオーダーして好評だったから今年も同じものにした、と言う。去年食べた覚えもないし、喜んだ記憶もない。しかし、携帯の写真を確認すると、確かに去年夫からハーゲンダッツのアイスケーキをプレゼントされている。全く記憶していなかった自分にも嫌気がさした。
その後職場のグループチャットで「Happy Birthday!」のメッセージが多数送られてきた。私にではなく、同じ誕生日を持つ同僚にだ。去年の誕生日、グループチャットで同僚と同じ誕生日だと知った。多くの人が同僚に「おめでとう」を送っている中、私も祝いの言葉を述べ、同じ誕生日であることを明かした。何人かの同僚は私にも祝いの言葉を送ってくれた。しかし今年は全く忘れられているのか、故意なのか、私への祝いの言葉は一切なかった。
期待してしまうと落胆も激しくなる。楽しいはずの誕生日は最も簡単に苦痛な1日となり得る。こんな筈ではなかった、と気を取り直そうとしたところ、一通のメールが届いた。同じ歳の元彼からだった。
40代半ば、というある意味節目の年を迎えたことの労いと、簡単な祝いの言葉が綴られていた。この元彼とはほぼ15年程前に別れた。2年程の付き合いだったが私をいたく好いてくれ、大切にしてくれた。それなのに私は重苦しさを感じ、別れを告げた。別れるのはなかなか困難だったが、別れた後も友人関係は続いた。私には新しい彼氏ができ、結婚もして家庭を持った。彼も最初は恋愛に手こずったようだったけど、赴任先でいい出会いがあり、結婚し、子供にも恵まれた。希望の職にも就き、現在は世界を転々としている。
元彼の結婚式にも出席し、赴任先の家を訪ねていったりした。彼の妻とも仲良くなった。彼らがニューヨークに来る際は一緒に食事したりする。
ここ数年は会えてないが、今でも元彼は毎年誕生日に祝いのメッセージを送ってくれる。私は一度も彼の誕生日にメッセージを送ったことがないのに、だ。
ニューヨークに来て今年で22年。その間色々な人と出会った。でも今でも関係が続いているのはごく一握り。ましてや元彼で今でも連絡を取っている人は彼しかいない。
距離は離れても、過去を共有した人と今でも繋がっている。別れて随分経っても、未だに私の誕生日を覚えてくれている人がいる。荒みかけた心がじんわり暖かくなった。