悲劇の主人公になることがモチベーションになってない?
私の過去の経験上、よくやっているのが
自分が悲劇の主人公になって、
そこからパワーを得ているというパターンです。
なんか、これで思い出すのが
アニメ、聖闘士星矢のフェニックスの一輝
というキャラクターです。
幼稚園の年長さんとか小学1年生あたりのころに
私はすっごく一輝が好きだったんですよね。
同じく子供の頃、私は野球が好きで
毎日毎日壁にボールを投げていたんですよ。
自分がピッチャーで1回から9回まで投げ抜くイメージなんですが。
ときおり、ピンチを迎えながらも
ピンチでいつも以上のボールが投げれるという
設定にして、無敗のエースごっこをしていたんですよね。
それでいつの間にか、ピンチを迎えても
そこでものすごいパワーを生み出す人物像に
憧れを持っていまして。
それがいつしか、無意識にピンチになる状況とか
傷つく状況を生み出していた気がするんですよね。
なんか今日、そのことに気がついたので
なんでこのパターンを繰り返しているのか
考えてみたんですけれど、
多分、悲劇の主人公になることの
メリットが多すぎるから、このパターンを手放せないんだと。
ざっとあげてみると
・自分が重要な人になっていると思える
・自分が主人公だと思える。
・自分が価値のある人だと思える。
・強烈な負の感情に快感を覚えている
・エネルギー源になる
・生きている実感をもたらしてくれる
・すべてを投げ出せれる気がする
・開放される自由になれる
・現実逃避ができる
・どこかワクワクする、非日常だから
・逆転できると思える
・勝てる気がする
・成功できる気がする
といった感じでメリットが多いんですよね。
でも、悲劇の主人公にならなくても
自分が大切な人だと思えるし、
負じゃなくてポジティブな感情でも強烈な快感を覚えれると思うし
ポジティブからもエネルギーに転換できると思うし
生きている実感は喜びからも得られる気がするし
もちろんワクワク燃えきるし、
ポジティブな感情から勝利も成功も体験できると思う。
だから、このパターンは繰り返さないようにしようと思う。
そんな内観をしていました。