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がんによる死への不安は克服できるのか?

前回は、がんによる不安に関してお話させていただきました。
今回は、それら不安の中でも最も大きな不安と考えられる「死」への不安を克服することはできるのか?
というお話をしていきたいと思います。

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▼「がん」イコール「死」という考え
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「がん」イコール「死」という考えはとても根深いものだと思います。
もちろん今でもがんでお亡くなりになる方は多く、年間30万人を超えており、日本人の死因の第一位であることは疑いようもありません。
テレビなどでも、ある有名人が「●●がん」で亡くなったというようなニュースを聞かない日の方が少ない気がします。
そのような「死」のイメージが色濃い「がん」ですから、診断(告知)されることによる精神的なダメージが相当大きいことは容易に想像がつきますし、ダメージの大きさはステージ(進行度)によらないと言われています。
「がん」と診断された多くの方が
「がんと言われた瞬間に頭が真っ白になり、その後担当医が何て言っていたか全く覚えていない」とか、
人によっては「病院から家までどう帰ったか全く覚えていない」という方もいらっしゃいます。
「明るいうちはまだ大丈夫だが、夜になると恐怖で眠れないし、毎晩泣いています」と、かなり日常生活に大きな支障を来してしまう方も多いようです。
現実的には医療の進歩もあり、がん全体でみれば5年生存率は60%を超えてきていますので、
「がん」になっても、死なない人の方が多いというのが正しい認識なわけですが、そう簡単には「がん」のイメージは変わりません。
昨今の「新型コロナ」の状況をみていると、「がん」もそれが原因で亡くなる人がゼロになるまで、「死」のイメージが払拭されることはないのかもしれませんので、
ただ単に医療が進歩しさえすれば「死」への不安がなくなるというわけではないのだろうなぁ~って考えています。
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▼がんによる死に対する不安とは?
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人間も動物ですから、そもそも本能的に死を予感させるものへの恐怖感があるようですので、「がん」が怖いというのは当然ではあります。
高いところが怖い(高所恐怖症)とか、刃物を突きつけられたら怖いとかと根本的には同じ感情でしょうか。
そのような、自分自身がいなくなってしまう、消滅してしまうこと、つまり「死」そのものに対する恐怖心以外にも、「がんによる死」が怖い2つの大きな理由があります。
まず一つ目が、がんが進行していくことで「痛み」などの苦痛がドンドン酷くなり、苦しみながら最後の時を迎えるのではないかという恐怖です。
親・兄弟や知人がそのような経過をたどるのを目の当たりにした方はより強い恐怖を感じてしまってもおかしくありません。
テレビドラマや小説からこのようなイメージを持たれている人も多いと思います。
もう一つが、自分がいなくなることで、大切な人と別れなければならなくなることだったり、残された家族が不幸になってしまうのではないか、やり残したことがどうなってしまうのだろうかという考えからくる恐怖です。
僕自身では、これら3つのがんによる死への恐怖のうち、死そのものへの恐怖よりも、「大切な人との別れ」や「ひどい苦痛」への恐怖の方が大きく感じますが、皆様はいかがでしょうか?

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▼死の受容過程
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エリザベス・キューブラー・ロスの提唱した「死の受容プロセス」というのを聞いたことがある方も多いと思います。
ロス自身が200人の末期がん患者さんにインタビューを行い、その中で多くの人が決まって似たようなプロセスをたどることに気がついたというもののようです。
第1段階:否認
第2段階:怒り
第3段階:取引き
第4段階:抑うつ
第5段階:受容
の5段階ですね。
今回のテーマである「がんによる死の不安を克服する」というのは、第5段階の「受容」に至った状態なのでしょうか?
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▼死の受容過程をもう少し詳しくみてみましょう
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第1段階の「否認」は、がんと告知されたが「まさか自分が『がん』であるはずがない!」「診断ミスだ!」と考えて、人によっては別の病院にかかってみたりすることです。
その後、がんであるという診断自体は受け入れても、
担当医「手術は難しい」→「どこかで手術してくれる病院があるはずだ!」
担当医「がんを治すことは難しい」→「まだ治す方法がきっとあるはずだ!」
などの「部分的な否認」を第2段階以降のプロセスに進んだとしても、間欠的に繰り返していくとされています。
第2段階の「怒り」は様々な形で現れます。
「どうしてもっと早く病院を受診しなかったのだろう。」「健診をしっかり受けておけばこんなことにならなかったのに・・」「禁煙・禁酒しておけば良かった」などのような自分自身に対する後悔のような「怒り」はよく患者さんから聞かれます。
「(高血圧などで)○○クリニックに毎月かかっていたのに見つけてもらえなかった!」という他者へ怒りの矛先が向くこともあります。
また「自分は何も悪いことをしていないのに、何故こんな目に遭わなければいけないのか?」「今まで病気らしい病気をせず健康に過ごしてきたのに・・・」という神様とか運命とか見えないものへの怒りもよく聞きます。
第3段階は「取引き」です。「延命への取引き」とも言われるようです。
取引きの相手は神様です。「もう悪いことは一切いたしませんので、どうか命だけはお助けください」という感じのようですが、日本では少ないかもしれません。
「抗がん剤治療がうまく行くようにお酒もタバコも一切やめました」とか
「どんなにお金がかかってもいいので、最高の治療をしてください!」などのような形で患者さんから聞くことが僕の経験上は多いです。
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▼死の受容過程:第4,第5段階
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第4段階は「抑うつ」です。
「取引き」がうまくいかず、がんの進行が抑えられないことがわかり、いよいよ身体にもがんによる色々な症状がでてくると、死が徐々に現実的なものになってきます。
思い残したもの、やり残していかざるを得ないもの、これまでの後悔や徒労感(頑張ってやってきたことも無駄だったのではないか)などが去来し、うつ症状に陥る段階です。
例え当初から「治らない」と言われている「がん」であっても、抗がん剤治療を続けている間はまだ「取引き」中の方が多いと思います。
そしてある時、担当医から「もうこれ以上抗がん剤治療はできません。後は緩和ケアになります。」と言われ「『取引き』の機会はもう無くなってしまった・・・」と「抑うつ」の段階に進む方が多いと思いますが、さらに効果の証明されていない免疫療法などを行うことで「取引き」を続けようとなさる方もいらっしゃいます。
その後に訪れるのが、第5段階の「受容」となります。
「受容」と聞くと、前の4段階を乗り越えた人がたどり着く「悟りの境地」みたいな良いイメージが僕にはありました。
自分が死んでいくことを受け入れ、その上で残りの時間で自分のなすべきことをしたり、残される家族へお別れや感謝の気持ちを伝えたり、そういうことができるような状態になることだと考えていたのですが、どうやらキューブラー・ロスが考えていた「受容」はそうではないようです。
どちらかというと「あきらめ」に近いような感覚といいましょうか。
「怒り」は出尽くし、「抑うつ」にも疲れ果て、感情がほとんど欠落した状態をいっていたようです。周囲への関心が薄れ、1人にしてほしいと願い、世間の出来事や問題に煩わされたくないと考える。たとえ訪問者がきても、患者の方は話をする気分ではなくなっている、そういう状態だというのです。
正直、だいぶ僕が考えていた「受容」とは違うと感じました。
また、「受容」に至れば「がんによる死の不安」はなくなるのかもしれないけど、そんな風に不安がなくなってもメリットがないというか、幸福な感じがしません。
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▼まとめ
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キューブラー・ロスの「死の受容過程」のお話しに終始してしまいました。
このプロセスが進んだとしても「がんによる死の不安」を克服して、幸せな状態へ至ることは難しそうな気がしました。
とはいえ、このプロセス自体が進むことでヒトは成長すると考えられていますので、とても重要なことではあると考えます。
このプロセスの進行はとてもゆっくりであり、時間がかかることなので、その時間を作り出すために「抗がん剤治療」を行うことも、「抗がん剤」の重要な役割の一つだろうなって考えました。

次回につづきます。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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