「嫌い」が「嫌い」:談話室#16日目
こんにちは、冬原水稀です。
皆さんの嫌いなものってなんですか?
「嫌いなものはありますか?」ではなく、「嫌いなものってなんですか?」と尋ねた理由。それは当然、誰しも「嫌い」なものがあるだろうと思ってのことです。
食べ物、行為、人。
人には何かしら嫌いなものがあるでしょう。
今日はそんな「嫌い」という言葉について考えることのお話。
もし私が冒頭と同様の質問をされたら、こう答えるでしょう。
「私が嫌いなものは一つだけ」
「『嫌い』という言葉が『嫌い』」
もちろん、「この世の食べ物全部食べられる!!」の人間でも無いですし、「人間はみんな愛してる!!!!」の博愛主義者でもありません。
ただ、なぜだか「嫌い」という言葉を使いたくないだけなのです。
なぜなら「嫌い」が「嫌い」なので。(ここで使用するのは、便宜上許していただきたく!!)
いわゆる嫌悪感という感情を否定しているわけではありません。
この世に嫌いなものが多すぎるという方を批判しているわけでもありません。
寧ろ好悪ハッキリしていた方が心は健康ですし、「嫌悪」があるからこそ、「好き」は相対的にもっと好きになりますよね。
ではなぜ私がその言葉を嫌っているのか。
単純なもので、「嫌い」という言葉を聞くと気持ちが沈むからです。何とも勝手なことに。
いや~~!! 冗談だと思われるかもしれないんですけど本当の話で!!!!
本当に、聞くだけで悪い意味のドキドキを味わう言葉なんです。私にとっては。
では冬原は好きの反対をどう表すか?
「苦手」って言います。これもすごく単純。
苦手な食べ物、苦手な人、苦手な状況。
あまりにも「嫌い」を避けるので、「『嫌い』って言わずに『苦手』ってよく言うよね」と人から言われるくらい。
いや、「嫌い」=「苦手」として使うなら、私の言う「苦手」は「嫌い」なのでは?? という意見もあると思いますが。
私にとっては違う認識の言葉です。
トゲトゲしてないというか、誰かの「好き」を否定しないような気がして。
それを考えると、「嫌い」という言葉が嫌いな理由は、私自身が私の好きなものを人に「嫌い」と言われると、否定されているようで傷つくから。なのかなぁ。
私が一人そう考えて一人意識しているだけなので、「嫌い」という言葉を使うなと人に言いたいわけではありません。
とっちらかっていますが、思考整理がてら~みたいな記事でした。
おわり!!!!(雑)
では、また明日👐
冬原水稀(💬Twitter)
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