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人生のあらすじ(小学校編2)

前回の続きとなっております笑見てない方は是非そちらからお願いします!!

小学5年生から「柏レイソル」のジュニアとして活動し始めました。同期には、みなさん知ってるであろう鵜木郁哉、飯田瑛士、多久美景紀。ふみやとえいじは家の方面が一緒で小学校の時は一緒に車でアウェーの試合に行ったり、前泊したり、中学の時は寛太も含めて、東武アーバンパークライン組。自然と一緒にいる時間が長かった。かげのりは一個上にキーパーがいなくて、ずっと上でやっていた。だからかげのりと合宿したり、試合したりした思い出はほとんどないけど、私生活の思い出は1番ある。今でも1番会ってる。相棒ですね笑

紹介はこんなもんで、柏レイソルに来て思った事、それは「みんなうますぎる」だった。凄いところに来てしまったと正直思っていた。今でも覚えてるのが、当時アカデミーのGKコーチだった拓也さん相手にしんのすけ(松井慎之助)が一対一でループした。綺麗に決まった。あの瞬間は今でも鮮明に覚えている。他にも一つ一つの練習の精度の高さ、頭の良さ、レイソル用語などがあり、最初は本当に戸惑っていたのを覚えている。当時小学生の俺は、戸惑っていたとは思うけど、そんなに深く考える事なく、気づいたら慣れていった。

柏レイソルの環境は凄すぎた。一人一個自分専用のロッカーがあり、そこで着替えて、練習着も全て支給で、綺麗な人工芝で練習ができ、元プロサッカー選手やアカデミーOBの方がスタッフをやっている。練習が終わったらシャワーが浴びれて、夜ご飯まで出て...とにかくサッカーするにあたって最高すぎる環境だった。今だから思うけど、その環境に甘えてる部分だったり、そこにいるだけで満足していたかもしれない。

ホームでやる試合は試合などが被ってなければ全部見られるし、レイソルのトップの選手がすぐ近くで練習していたり、ホームステイしに行くこともあれば、ニュージーランドからホームステイしに来ることもあったり、海外遠征があったりワールドチャレンジ準決勝まで行ったがチームの過半数が食中毒になり、リヴァプールにボコされたり笑本当に充実してました。

でも自分たちはLEGAは1位だったがそれ以外はなかなか結果が出ず、

「最弱の世代」

と言われていた。言われていたし、自分達も思っていた。ずっと連覇していた全少の千葉県予選に負けて全少に出られなかった代。2個上は全国で優勝していたし、1個上と1個下は準優勝していた。それなのに自分達は千葉県敗退。しかも自分がPKを止められた。試合後になべさんに「なんで泣いてんだ、お前のサッカー人生ここで終わったのか?」って言われたの今でも覚えている。普通だったらトラウマになってPK蹴れなくなる子もいると思うけど、なべさんのその言葉を聞いて、これからのサッカーでまたそのチャンスがあったらリベンジしようという気持ちになれた。ありがとうございます。

小学6年で絶対に通る道が、ジュニアユースに上がるか上がれないか。レイソルに入ってからトレセンにも選ばれた事が無かった。正直上がれたら奇跡、上がれなくても当然くらいに思っていた。絶対的エースな訳でもないし、別にうまくもなかった。そして、8月のマリノスカップでは最悪。凄い怒られまくった。あ、もうこれは無理だなと思っていたし、カタール遠征もギリギリメンバー入りして、ほとんど試合には出ていない。

ついに結果が言われる日。

「合格」

正直驚いた。え?本当に?嘘じゃない?両隣にいた両親と顔見たらめちゃくちゃ笑顔だった。多分両親は信じてくれていたんだと思う。この年、ジュニアからは8人が上がった。多分、そのメンバーの中で1番危なかったのが自分。めちゃくちゃ嬉しかったけど、これから大丈夫なのかな?中学で出れるかな?とかいろんな事を考えていた。でも上げてもらったからには、自分のやれる限りのことは絶対にやろうと決意した。

長くまとまらない文ですが読んでいただきありがとうございます!!次は中学生編でお会いしましょう!!1学年ずつにするかは考えておきます!!