人生のあらすじ(小学校編1)
昨日の続きです!幼稚園編がまだの人は是非そちらから見てください!
小学校に入学して、そのまま「イーグルス」というチームでプレーしていました。そこでは、友達のお父さんなどがコーチをしていた為、もっと上手くなる為にはもっとレベルが高く、サッカーの基礎の部分、「止める、蹴る」にこだわり、バルセロナのようなサッカーを目指している、「PBJ千葉」というチームに行く事を決めました。初めての移籍という事で、最後の日の事を鮮明に覚えています。みんなが大泣きしていて、もちろん自分も大泣きして、一人一人に手紙とプレゼントを渡しました。小学校1年生の自分にとってはとても辛い別れでした。
そしてPBJ千葉に移籍して、背番号は13。なんで13だったかと言うと、1個上、2個上の試合に出るから、年上の選手とは被らない方がいいと言われて、その中で1番若くて、なおかつ平成13年生まれで、お母さんの誕生日も13日なので選びました。笑
まず変わったのは練習の回数。イーグルスは土日だけだったのがPBJではほぼ毎日練習をしていました。毎日泥んこになり、口には泥で髭ができていたり、家に帰ってお風呂でくるぶしの横が真っ黒になっていたのを思い出します。笑そして毎日お父さんが仕事帰りに迎えに来て、帰りに反省会をして、ミニストップによってお菓子を買ってもらって帰るみたいな感じの生活を送っていました。小学校の時に遊べるのは月曜日だけで、本当に小学校低学年の記憶で友達と遊んだ記憶はほとんどないです笑(忘れてるだけかもしれませんが笑)とりあえずサッカーしてましたね笑
当時はボランチで受けて捌いて、相手の攻撃封じて、ドリブルで上がってってゴールやアシストをバンバンしてました。
結果としては小学校2年生の時に一個上の千葉県大会で3位。自分達の代で優勝。最強マリーナを倒しての優勝は本当に最高の気分でした。
そして、小学4年生。2011年シーズンのJリーグ。開幕戦から上位を走っていたチーム。それが「柏レイソル」。それまでは家の場所的にもジェフ寄りだったこともありましたがジェフはJ2で、柏レイソルが千葉県にあると言うのを知り、両親に「柏レイソルに入りたい」と言ったのを覚えています。正直現実的ではなく、住んでいた所からは2時間以上かかります。でもそんな事は当時の自分は考えてもなかったです。
そして柏レイソルに入る可能性を上げられるのは提携している「柏レイソル長生」に入る事。提携チームで1番近くにあり、2011年9月に移籍しました。
小学校4から太り始めました。当時は気付いてないですが、今見たらまんまるですね笑
移籍してすぐにボランチからセンターフォワードにコンバートされました。正直点を取るのが大好きで、ボランチやっていた時も点を取れなくて、不貞腐れることが結構ありました。なので自分的にはとても嬉しかったです!しかもとても自由にやらせてもらって、最初の大会でMVPを頂き、ボールをもらいました。あの大会でフォワードとして自信が付きました。
そしてセレクションが何月だったかは忘れましたがピッチ脇に雪がたくさん積もっている中、第一次、第二次セレクションが行われました。
一次セレクションはミニゲームと30メートル走。二次セレクションは少年用コートでゲーム。無事合格。3次、4次セレクションでは、ふみやと点の取り合いしてたのを覚えてます。受かったなっていう感覚はありました。たしか合格の通知書?かオンライン?で発表だったと思うんですけど、父にレイソル長生の代表から電話が来てフライングで知りました。本当に嬉しさが大きくて、なんも考えてなかったんですけどそこからは引っ越し、転校の大忙しでした。
長くて、まとまってない文章ですが読んでいただきありがとうございます!
次はレイソルに入ってからの小学校編2を載せたいと思います!
お楽しみにー!!