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森:見えないもののなつかしさ
なにも見えないままではあるのだけれど、目を覆う真っ暗闇は、確かに少しずつ奥行きを獲得していく。はっきりと視認できるものはないのに、目の前に空間が広がっていく。夜を占拠していたものたちが揮発していくにつれ、森のなかに目覚めがあらわれる。(遠くから犬を見つめると、気がついて犬が振り向くことがある。家に出没した虫を叩き潰そうと身構えると、ちょうどそのタイミングで虫が移動の速度をはやめることがある。意思疎通ができないとされる重篤な入院患者の機嫌や気分の波は、その生活を支える看護師には伝わっている。)森の目覚めにあわせ、なにかが溶解していき、もしくは充満していくことについては、視覚的な客観性ばかりをかたく信じる人には理解されにくいだろうが、しかし体はちゃんと感じている。遠くで鳥が鳴きはじめたり、空が明るく透き通っていったりといった露骨な変化の起こる前からすでに、朝は着実にはじまっていく。
夜には夜で、その時間に活動をしている生き物がいるから森の中は静かではない。枝の落ちる音、葉の擦れる音、疾走、羽ばたき、甲高い威嚇の声。ところが、ある一瞬をむかえると、それらがいっせいに止む。夜が終わったのだ。夜と朝のあいだの、凪の時間である。
凪の時間になってようやく、水の音がきこえるようになる。ほんとうはそれまでも、すぐそこでずっと鳴っていたのだが、生き物や風のたてる音にかき消されていたのだ。土の中のどこかから湧き出し、ひとところに溜まり、あるいは小さな流れをつくり、小石や枯れ葉にぶつかって進路を変えたり、物体を覆ったり、噴出し、落下し、合流し、飛び散り、染み込み、泡立ち、ものを濡らし、揺らし、ほどいたり溶かしたり、上方へと吸い上げられたり、忙しく立体的に動きまわる水はすべてを綿密に網羅し、把握している。無数の水のさやめきだけに満たされた時間と空間が、夜と朝とのあいだに、わずかに、しかし確かに、毎日毎日横たわっている。そのあとで、――
蜘蛛の糸が光に震える。木の実が重力に負け、肉厚の葉の上で硬く跳ね返る。小鳥たちは肺に満ちた寝息を絞り出し、そのかわりに生まれたての清冽な酸素で胸をいっぱいにしようと幾度も換気を繰り返し、きょういちにちの歌唱のためのリハーサルに余念がない。起き抜けの蝶は、どの朝露が一番甘いか食べ比べる。ある一滴を味わいながらも、次に吸う別の一滴が待ちきれなくてそわそわはためいている。熊は鷹揚に糞をひり、蛇はひんやりした木肌を求めて体をくねらせる。野ネズミが樹幹に顔をこすりつけ、開いたばかりのキノコの傘の下で、胞子は眠たげにそれぞれの踊りを踊る。さまざまな速さの動きや、さまざまな吐息と体温によって充実した森には、奥行きのない真っ暗闇はもはや跡形もない。朝がやってきたのだ。なんという輝きだろう。そして、かたわらで常に、人知れず水は動いている。