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2024年 自分の記事

かまってくださる人のいるおかげで犯罪をせずに生きていられます。ありがとうございます。今年もよろしくお願いします。


外の空き地


アパートの二階に住んでいます。すぐ外には空き地がある。鳥がたくさんくる。

朝はたいてい、ジョウビタキの「カッ…!カッ…!」って声で起こされる。そのうちヒヨドリとセキレイがきて、カラスが間延びした声をあげはじめるとムクドリも鳴きはじめて、みんながいなくなったころにメジロの声に気づく。コゲラもいます。オナガも横切る。シジュウカラもくる。


大晦日、冬の昼にぼけーっと空き地を見ていたら、ついつい散歩に出たくなりました。
ふらーっと何時間も何時間も歩いていると、2024年の年始のことを思い出しました。年始、はじめて人と言葉を交わしたのはたしか1月の3日とか4日あたりで、店の前の道掃除してるフィリピンパブのおねえさんと「オメデト」「おめでとね〜」ってやりとりだった。まあ今年もこんなふうだろうと思う。

冬の夕暮れ


2023年に、はじめて島原に行きました。いいところでした。
それで、2024年もまた行きました。
道を歩いていたら、そばに軽トラが止まって、「またきたんですね!」と声をかけられました。2023年に出会った人でした。
その日はその人のところに泊まりました。するとその場所に他の人もいました。Sさんとしましょう。(その場所、というのは、廃ビルまるごと引き取って、お店屋さんをしているところです。部屋は充分あるんです。)

さてそんな夏を過ごした2024年、大晦日。散歩をしていると、友人から連絡がきました。たったいま、上野で飲んでるという。なんと、たまたまバーで居合わせた人が、くだんのSさんその人だったというのです…!
「普段は島原に住んでるんですよ」
「そうなんですか! 実は知り合いに、島原をすごく気に入って、今年の夏も行ってきたっていうやつがいるんですよね」
「えっ、その人、知ってます、会いました会いました!」 

みたいな、やりとりで、判明したそうな。

「強いつながり」なんて持ってないし向いてないし、まあ憧れがないとはいわないけどけど結局まじで向いてないし、だから「弱いつながり」をたくさん持っていないとやってられない。犯罪に走らずに生活できているのはたくさんの「弱いつながり」のおかげ

懐かしの島原


このnoteのアカウント、たまにどこかへ出かけることがあれば、その出来事を書き留めておく程度の運用だったが、去年の夏から毎週更新していて、今週で25週目になります。溜まってきて「記事一覧」のページも散らかってきた。

今回これまでの記事を整理して、そしてこれを「今週分の更新」に充ててしまおうというのである。(毎週やってると、意地になっちゃって、ネタはないけど更新をしたい。)
来週か再来週は、展示のお知らせをしようと思います。


記事の内容を整理するとたぶんこんなふうになる。


① 旅行記・紀行文

たまに書いてたものはタイトルが直接的なので、そう整理の必要もない。

2023年 夏の放浪 その1
2023年 秋の香川 その1
2024 春 静岡 その1

2024年の夏から書いた10本の記事には、タイトルにわかりやすく<旅行記シリーズ>とある。が、内容は多少ややこしい。いろいろな時期に行ってきた、いろいろな旅先の話を、時系列関係なく書いている。

おぼれる犬 <旅行記シリーズ>
犯罪都市パリにおびえ、スイスの町ベルンでクマに会い、差別に遭い、景色にみとれる話

EASY NOW! <旅行記シリーズ>
叫びながら眠っていたら心配されて地下墓地まで行く。子供たちの大群のなかでコーヒーメーカーを破壊する老人がいる。

フィジカルナイト <旅行記シリーズ>
タイ・バンコクで死体を眺め、スリの犯行現場を目撃し、泳ぐ犬の動画に夢中で目の前のムエタイ試合を見ない人を観察し、喧嘩にわりこむ。高円寺と「鬼畜本」の思い出

パンダの星 <旅行記シリーズ>
当時のタイのカルチャーレポート。ロイヤル美術から商魂アート、児童画に版画工房まで、見られるすべてを目撃してから、タイ文学の主人公の行動をなぞって寝台列車で北部にわたり、鳥肌実の演説の鳴り響く庭に至る。

ジュネーブの家 <旅行記シリーズ>
パリの美術館地下でライドアトラクションに揺られ、深夜バスで国境をまたぐ。麻薬犬をかわしスイスへ移動する。人のトイレを妨害し、日本人をみれば「ヤクザ!ヤクザ!」と声をあげるトルコ人を避ける。

バンコクの家 <旅行記シリーズ>
友人宅によせてもらって過ごした二度目のバンコクの日々をただのんびり追っている回…

フィーコになる <旅行記シリーズ>
イタリアのローマの10月末。サマータイム最終日、町中の時計表示がばらばらになり、翌日おかしな格好をした子供たちがマリファナショップに詰めかける。ローマやバンコクでの散髪の話と、日付について。

聖堂とヴェネチアとモランディ<旅行記シリーズ>
3回にわけ、イタリアでさんざん美術芸術を鑑賞しながら考えたことを並べる。
①ルネサンスの絵の技術についての発見
②ヴェネチアビエンナーレのしんどさ
③モランディってすごいなあ


それから、いわゆる旅日記と呼ぶには飛躍のあるものを書いた。
「ゲニウス・ロキ」とは、その土地独自の精霊のことを意味するギリシア語である。

あのゲニウス・ロキ

こちらも3回にわたっている。長崎原爆の日を五島でむかえ、長崎や島原をまわりながら、「存在感と場所」について思いを巡らせる。まったく別の機会に聞いたり考えたりしたことをとりまぜ、「空間」が、サウンドスケープによって「場所」に変化する、という可能性を思う。そして「自分」という範囲もまた、同様のからくりによって生じた「場所化された環境」である可能性に思いを馳せる。

またどっか行ったらなんか書きます。


② 森についての散文


特設サイト

イラストレーターの井出静佳さんの展示のために書いていたテキストをすべて公開した。
まず僕がなにか書いて、それをもとにして描いた絵で展覧会をする。そういう試みに誘ってくださったんです。

ご本人の展覧会イメージ:
【半抽象的な風景画を描きたい。えぐみ強めの自然の中に、しっとりと生き物がいる。森は、綺麗なものと不穏なものが入り混じっているイメージ。森に囲まれた、生き物や人物などのイラストで構成する】

このイメージを目がけて書いた小品が全部で5本。実際には最後の1本が採用作になった。

森:おかえりなさい
森:そらいろの塔
森:発達
森:鹿の番
森:見えないもののなつかしさ

井出さんは採用作をもとに、何枚かのイラストを描いてくれた。
そして静岡のひばりBOOKSという本屋さんで個展を開催されたのだが、ここで発表された2点が、それぞれ今度、本の表紙になる。
1つはたぶんまだ言っちゃだめなやつで、もう1冊は伊坂幸太郎さんの単行本になる。(!)



③ エッセイ(?)


 エッセイと呼ばれる形式の定義に自信がない。

 エッセイという言葉ははじめはなんとなく、さくらももこの『もものかんづめ』とか『たいのおかしら』で知って、それから国語の授業で取り扱われて、椎名誠、ねじめ正一、辻仁成、池澤夏樹、別役実なんかのものを教材として読んだんじゃないだろうか。思い返すと教材にはいろいろなスタイルがあったはずなのに、さくらももこの「せい」か、てっきり、自分自身の身に起こったことを、回想しながら、読みやすい文体で書くのがエッセイというふうに思ってしまっていたので、そのあとで稲垣足穂の『少年愛の美学』とか澁澤龍彦の『思考の紋章学』種村季弘『アナクロニズム』でびっくりする。自分の話はまったくせずに、なんか固有名詞ばっかりでてきて、けど論文というような積み立て方でもない。なのに文章はかたい。よくよく読むと、単なるおもしろニュースコラムみたいな内容だったりもする。

 その後、いろいろ読んでとらえかたも変わってくる。 序論・本論・結論の章分けなどの構造に依存せず、建前じゃなく著者=書き手=語り手の形式であればなんでもエッセイって言ってしまってよいんだと、だいぶファジーにとらえるようになってしまった。これはこれで間違えているかもしれない。
玉村豊男『料理の四面体』梨木香歩『春になったら莓を摘みに』岡潔とか團伊玖磨、開高健やら東海林さだおとか、上野千鶴子ポール・ヴァレリーソンタグとか松岡正剛山本七平『空気の研究』林達夫『歴史の暮方』……

 なんか、わかりやすい区別の方法ありますか? たとえば学校で「論文の書き方」を教わって「これが学問のしきたりなんだな」つって飲み込んでからプラトンとかデカルトとか見返しても、教わった構成では書いてないじゃないですか。『饗宴』は物語で『方法序説』はエッセイ、って言っちゃっても、大間違いではないんじゃないですか。いやいや、というかそもそもジャンル分けなんて別にどうだっていいんで、この問い自体が程度の低いものだとは思うんだ。だけど「エッセイです」つって自己紹介したうえで公開してるものを「それ違いますよ」ってあとで突っ込まれたら恥ずかしいし。

 なのではなはだ心もとないのだけど、幾週かは、へらへらと書いた、まあ、なんつうか、「エッセイ」としか自分では呼びようのない作文で埋めている。

かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろう
うまく休みなさい
もう呪詛なんてしない
分身の術
妖精の記録



④ 番外編


海外へのひとり旅の話を中心に10本の旅行記<旅行記シリーズ>を書いた。それぞれおおよそ6000字ほどある。これでは読むのも疲れるだろう。リクライニングとして、10本目の次に箸休めの短い雑文、そのあとの「ゲニウス・ロキ」ともつながるようなワンクッションを書いた。

いすをたおす

ほんとうはこういう、一見ばからしく、読みやすく、分量もほどほどのものばかり書いていきたいのだが、どうもなかなか思いつかない。どうすればいいんだろう。お題をふられたほうがよいのかもしれない。

家を出るとすぐマガモたち


ここ2年ほど、雑誌の編集の方にみてもらいながら練り上げていた小説があったんですが、編集長判断でついにボツになりました。心機一転、この正月は家にひきこもり、新しいものを書いていく所存です。去年はおおきなチャンスや出来事のすべてを棒に振った一年でしたが、今年は、どうか。先述しましたが、展示をするのでお知らせのためにまた更新すると思います。では

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