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不便を楽しむ力
昨日は悪天候の中、西東京にある御岳山に友人と登山に行った。
滝本駅にケーブルカーがあり、そのケーブルカーで御岳山駅まで登れる。
ケーブルカーに乗れば6分で登りきれるわけだが、
もちろん私たちは歩いて登ることを選択した。
目的が自分の足で歩いて目的地まで行くことだからだ。
そう、不便を楽しみに来ているのだ。
「不便益」という言葉に出会ったのはおそらく7.8年前くらいだと思うが、テレビでこの言葉を作った人が紹介されていて、そこで知った。
割と最近広がった言葉のようだ。
簡単にいうと、
「不便であることによって得られる利益」
ということだ。
この不便益の代表格といっていいのが、まさに
登山だろう。
時代が進むにつれて、基本的にどの分野でも
効率化を図り、世の中を簡単にシンプルにしていくことが当たり前に進んでいる。
私もそれは大賛成だ。
一方で時代が進み、効率が進むことで、
使える時間が増えると、暇になった時間を埋めたくなる。
そこで私たちは、不便益なるものを欲する。
登山やキャンプなどなど、
私個人的にアウトドア好きというのもあり、その辺のことしか話せないが
やはり、自然に触れることや、アクティビティは未来永劫、普遍的に必要とされるものだと感じる。
あくまで今回の私の目的は歩いて目的地まで行き、そこで美味しいものを食べることだったので、ケーブルカーに乗ることは、
サッカーで3-0から試合を開始できます。
みたいなことだ。
そんなにつまらないことはない。
だから、
登山は疲れるし、キャンプは寒い、暑い
などと言って、不便の中にある利益を一度も享受しないのは少し勿体無い気がする。
効率化がどんどん進んでいるということは、自分次第で不便を楽しむ工夫はいくらでも見つけられる。
だから、1番不便な原始的な生活をあえてするようなYouTubeがバズったりするのだろう。
私自身も不便を楽しむために最近、登山や、キャンプを試してみている。
そのほかにも、自転車で愛知から静岡の
「しきじ」という、サウナに行ってみたり、
思いついたことをやってみて楽しむことを定期的にしている。
一見無駄にも見えるし、人によっては本当に無駄と思うかもしれないが、
私からしたら今でも記憶に残っているし、
道中リピートしまくっていた音楽を聴くとその時の感情がうっすら顔を出したりもする。
このように不便を楽しんだり、試してみたりすることで、自分の大切にしていることや、好きなことが見つかったり、副産物的な何かが見つかるかもしれない。
不便に蓋をしている人がいたら、是非とも不便益を享受しに山に歩きに行ってみてほしい。